エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
腐儒にもなれぬが | いしがめのじだんだ
遅まきながら,家永三郎の「戦争責任」を読み始めた. はしがきで家永が自己の不作為の反省を書いた文章... 遅まきながら,家永三郎の「戦争責任」を読み始めた. はしがきで家永が自己の不作為の反省を書いた文章を紹介している.随分前にAc-netでも紹介されているが,ここにもメモ代わりに一部紹介しておきたい. ある、偉い学者が、学問をする者は腐儒になる位の心がけでなければならぬ、と云われたそうである。あまりに佞儒(ねいじゅ)のみ多い日本では、腐儒になることさえが一つのレジスタンスでもあろう。しかし社会が不幸なる方向に向ってころげ落ちようとするのを外(よそ)にみて、自分の専門のしごとがあるとすましているのが、果して学問をする者のとるべき態度であろうか。太平洋戦争の間、私は腐儒となることによって佞儒となることを免れた。私は、今になって自分が消極的な意味での戦争犯罪人ーー戦争を防止するための義務を怠った不作為の犯罪人であったとの自責の念に堪えない。私は今度こそはその後悔を二度としたくはないと思う。同胞を破