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ヒップホップ、マスキュリズム|Jun Nakama
フェミニズムは女性のためにあり、男性にはマスキュリズムがある。日本では「男性学」として言及される... フェミニズムは女性のためにあり、男性にはマスキュリズムがある。日本では「男性学」として言及されることが多いかもしれない。 「女性学」はフェミニズムから生まれたもの。男性に対する差別をなくす思想や運動であるマスキュリズムはまだ大きな潮流にはなっていない。 情報が少ないが、最近のヒップホップの潮流とあわせて考えると輪郭が見えてきた気がする。 ヒップホップは、男性としての力を見せつけ、家父長制、異性愛規範を基礎に、成り上がり=Flex(フレックス)して資本主義の装置であるエンターテインメントだった。 しかし「男らしさ」は変化する時代に対応できず機能不全を陥っている。 男性性や男らしさについて考えるとき、議論は恐ろしいほどグローバルかつシリアスになる。ヒップスターのファッションや「誰が皿洗いをするのか」といった話は、レイプや戦争やテロや宗教弾圧や侵略的資本主義がテーマの議論にぐるぐる突入していく。