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量子多重人格問題と自己一意性|Masahiro Hotta
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量子多重人格問題と自己一意性|Masahiro Hotta
興味深い質問を頂きました。それは多世界解釈の量子多重人格問題とある程度関係をしています。我々が日... 興味深い質問を頂きました。それは多世界解釈の量子多重人格問題とある程度関係をしています。我々が日常で体験しているように、我々の体というマクロ量子系では、すくなくとも1つの時刻に1つの人格の意識の<私>が現れています。ここでは「自分はこの私だ」と思っている、この「私」の部分を、山括弧の<私>で書いています。多世界解釈では、マクロ量子系としての人間の体には異なる意識基底が考えられます。つまり、1つの時刻に量子的な多重人格を宿すのです。 <私>、つまり自分の意識がただ1つであるということを説明できないことが、多世界解釈の根本的な欠点になっています。 一方で、標準的なコペンハーゲン解釈では、多世界解釈のように理論の線形性だけから、全てを説明しようとする無謀なことはしていません。最初から公理として、<私>の存在と、その意識基底が与えられているのです。そこから、観測主体としての<私>の営みとして科学を