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量子力学の<私>の視点から見たときの「気持ち悪さ」は、解消するのか?|Masahiro Hotta
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量子力学の<私>の視点から見たときの「気持ち悪さ」は、解消するのか?|Masahiro Hotta
「我思う、故に我在り」と言った、ルネ・デカルトは「我」、即ち<私>の存在は疑えないとしました。現... 「我思う、故に我在り」と言った、ルネ・デカルトは「我」、即ち<私>の存在は疑えないとしました。現代科学という営みにおいても、その能動的な主体である<私>の存在は、公理として仮定をされます。科学とは、人間の五感を出発点にして、高度な測定機を使った実験観測を対象に行って、その対象がその反応として返してくるデータを解析するだけの、人間の実証的な営みに過ぎません。 この事実は、特に量子力学において重要になります。この量子力学は、情報理論の一種であると、現在では理解をされています。 そして、一般に確率概念を使って表現される、量子力学での「情報」とは、どの観測対象に関する、誰にとっての情報であると、はっきりと指定をしないと意味が定まりません。この「誰」が、まさに観測主体である観測者の「意識」であり、<私>と定義されるものです。外の世界にアクセスをしてデータを集めて、その解析と意味を考える科学の主体者こ