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持続可能性と「人間」の外にあるもの|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
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持続可能性と「人間」の外にあるもの|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
相変わらず、日本では持続可能性ということに対する意識の高まりが見られない。そのことに僕はびっくり... 相変わらず、日本では持続可能性ということに対する意識の高まりが見られない。そのことに僕はびっくりする。 仕事柄、いろんな企業の変革に関わらせてもらっている。だけど、そうした現場でも持続可能性という観点で物事を考えることがデフォルトになってきているとはいえない。変革しようとするなら持続可能性という視点で考えることは、それだけで多くのきっかけが得られて便利だと思うのだけど、あまりそうはなっていないのは何故だろうかと感じることもある。気のせいだろうか? いま何かを変えるとすれば、そこには環境、社会という側面での持続可能性への問いが必然的に含まれてよいはずだ。気候変動やエネルギー、食料などの問題だけでなく、少子化なども含めて僕らの社会の持続可能性の問題だろう。 このままでは良い感じがしない。ただ、ぼんやり生きているだけでさえ、そんな風に問題の影響を感じずには過ごせない環境になってきているように思う