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四天王寺は阿弥陀仏の浄土の入り口?
平安前期編纂の『上宮聖徳太子伝補闕記』には、太子を出産する時、西方から光が宮中を照らしたとありま... 平安前期編纂の『上宮聖徳太子伝補闕記』には、太子を出産する時、西方から光が宮中を照らしたとあります。また、やはり『聖徳太子伝暦』という10世紀頃の本に、太子が幼少の頃、「家は西方にあり」と言ったと書いてあり、極楽浄土からのお使いであるという設定が示されます。 なお、この二つの書では、委曲の違いはあるものの、殺害された太子の皇子達は蘇我氏に滅ぼされたのではなく、西方へ飛翔したことになっています。 こうして、極楽と太子を結ぶ線が出来ました。その後、この説は発展して太子を観音菩薩の化身と見なす信仰が平安時代後期に定着します。いうまでもなく、観音菩薩は、阿弥陀如来の脇士ですね。その後、太子と阿弥陀三尊を結びつける説は、さまざまな肉付けをもって広がります。 観音菩薩と聖徳太子の繋がりはご存じかもしれませんね。親鸞聖人なども、この説に従って、観音菩薩のお告げを待たれたわけですし、太子の廟にお参りされた
2008/04/22 リンク