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「大阪城内に若い娘を300人囲っている」宣教師が思わず書き残した豊臣秀吉の異常な性欲 教科書には載らない太閤の「黒歴史」 (3ページ目)
兄弟姉妹でも容赦なく切り捨てたワケ 秀吉には弟の秀長らの兄弟姉妹がいたが、実はほかにも存在したとい... 兄弟姉妹でも容赦なく切り捨てたワケ 秀吉には弟の秀長らの兄弟姉妹がいたが、実はほかにも存在したという。フロイス『日本史』一二章には、次のような興味深い記事がある。 一人の若者が、いずれも美々しく豪華な衣裳をまとった二、三十人の身分の高い武士を従えて、大坂の政庁(大坂城)に現れるという出来事があった。この若者は伊勢の国から来たのであり、関白(秀吉)の実の兄弟と自称し、同人を知る多くの人がそれを確信していた。 これは天正十五年(一五八七)のことで、秀吉は五十一歳になっていた。この若者に関してはほかに史料がなく、史実であるか否かですら判然としない。秀吉はこの若者が実の兄弟であることを確認すべく、次のように母の大政所おおまんどころを問い詰めた。 関白(秀吉)は、傲慢ごうまん、尊大、否それ以上の軽蔑の念をこめて、自らの母(大政所)に対し、かの人物を息子として知っているかどうか、そして息子として認める
2021/12/11 リンク