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愛してほしい人には愛されなかった…作家が見た「頂き女子りりちゃん」と「戦後初の女性死刑囚」の共通点 刑期を終え、「おば」となった彼女が向かう先
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愛してほしい人には愛されなかった…作家が見た「頂き女子りりちゃん」と「戦後初の女性死刑囚」の共通点 刑期を終え、「おば」となった彼女が向かう先
ともに明治後期の生まれで、定の事件は昭和11年、カウの事件は昭和35年だった。前者は「殺した男の性器... ともに明治後期の生まれで、定の事件は昭和11年、カウの事件は昭和35年だった。前者は「殺した男の性器を切り取って持ち歩いていた」という衝撃性と猟奇性で、後者は女性では戦後初の死刑を執行された人として伝説の女になった。 どちらも殺人者だが、成育歴や判決は大きく違う。定は神田の裕福な商家に生まれ、幼い頃からちやほやされ、芸妓、娼妓、妾、とにかく女の体と色香だけで生き続けた。 カウは関東の極貧の農家に生まれ、小学校だけ出て働きづめ、若くして結婚した夫が病弱で、という根っからの苦労人だった。しかし非合法のそれも含め、商才はあった。 定は勤めていた旅館の主人・石田吉蔵と愛欲に耽った挙句、絞殺して男性器を切り取り逃亡、逮捕されたが判決は懲役6年の短期刑、しかも恩赦によってわずか4年で出所している。その後については諸説あり、間違いなく亡くなっているだろうが享年などは不明。 戦後初の「女性死刑囚」がやった