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八町観音の新長谷寺関東第三十八番「茨城県」
八町観音の新長谷寺(しんはせでら) 茨城県の結城郡八千代町は、茨城県の北西部にあり関東平野の中心部... 八町観音の新長谷寺(しんはせでら) 茨城県の結城郡八千代町は、茨城県の北西部にあり関東平野の中心部の田園地帯に立地します。 新長谷寺は、国道125号の北側に位置し、清流鬼怒川の西側に立地します。 由緒 新長谷寺は西暦1232年、当時の領主結城朝光(鎌倉幕府の有力御家人、結城家家祖)が鎌倉から十一面観世音菩薩立像を持ち帰り、御堂を建立し安置したのが始まりと伝えられています。度重なる戦乱で、焼失を繰り返しましたが、その都度再建されました。 寺領は八町歩あったことから八町観音とも呼ばれました。18代結城秀康が越前に移封になると一時衰退しましたが、養父である晴朝が西暦1610年に寺領10石を与えました。 現在の観音堂は寄棟、銅板葺(元茅葺)、平入、桁行3間(11.13m)、梁間3間(11.13m)、江戸時代のこの地方の真言宗寺院建築として貴重なものとして棟札1枚、建造仕様書板2枚と合わせて、西暦1