エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
【キーウ発】麦畑は戦場になった
塹壕が掘られバレリーさんの広大な麦畑(55ha)は地雷原となった。畑の真ん中にミサイルまで落ちた。=2... 塹壕が掘られバレリーさんの広大な麦畑(55ha)は地雷原となった。畑の真ん中にミサイルまで落ちた。=28日、ゴーゴレフ村 撮影:田中龍作= 開戦から62日目、4月28日。 真っ直ぐな道が地平線に没していた。道の左右は麦畑だ。 ロシア軍戦車の残骸はことごとく道路上にあった。戦車が畑の中にあるのを見たことがない。 理由はこうだ― ロシア軍が侵攻を開始した2月下旬は、麦畑がぬかるみ始める頃だった。戦車が畑を通れば泥にはまり立ち往生する。 ロシア軍の戦車はアスファルト道路を1~2列縦隊となって進撃せざるを得なかった。そこをウクライナ軍の対戦車ミサイルや自走砲に狙い撃たれたのである。 農民によれば「冬の間、麦畑は雪で凍り岩のように固くなる」のだそうだ。ロシア軍の侵攻開始がもう少し早ければ、戦況は違ったものになっただろう。キーウにロシア軍の戦車が雪崩れ込んでいた可能性もある。 麦畑が戦車のキャタピラー