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2010-10-12
立國は私なり、公に非ざるなり。 福沢諭吉は『痩我慢の説』冒頭でこう述べる。ここで多くの人が誤解する... 立國は私なり、公に非ざるなり。 福沢諭吉は『痩我慢の説』冒頭でこう述べる。ここで多くの人が誤解する。福沢は「立国は私的なことで公的なことではない」ということを主張しようとしているのだと。 しかし、そうではない。俺の見るところ福沢は徹底したリアリストである。 福沢は最初に「哲学流」(科学的な原理・原則というようなニュアンスがあるのだろう)の解釈を披露したああとに、にもかかわらず現実がどうなっているのかを述べ、現実においてどう対処していくべきかを述べているのである。 これとは逆に、現実を「哲学」に合わせようと考えるのが「革新」だ。福沢とは全く違う立ち位置だ。 ところで、同じことは『学問のすゝめ』についてもいえる。冒頭で福沢は、 天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずと云えり。 と述べる。とても有名な言葉だ。これをもって福沢を平等主義者だと見做している人も多いだろう。俺も中学生くらいまではそ