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北条に敗北「後鳥羽上皇」権力を握った意外な経緯
皇位の象徴である三種の神器(八咫鏡 ・草薙剣 ・八坂瓊曲玉)は平家によって持ち去られており、後鳥羽... 皇位の象徴である三種の神器(八咫鏡 ・草薙剣 ・八坂瓊曲玉)は平家によって持ち去られており、後鳥羽は神器なき践祚をしたことになります。1185年、平家は壇ノ浦で滅亡することになりますが、このとき、神器の1つである宝剣は、海上に没し、二度と見つかることはありませんでした。 1190年、後鳥羽の元服の儀が行われますが、このときも、宝剣を欠いた儀式となりました。神器なき践祚をしたことは、後年まで後鳥羽のコンプレックスとなったともいわれています。このコンプレックスを解消するためには、強力な王権の存在を内外に示す必要がある。その意気込みが、承久の乱の遠因となったのでは、との見解もあります。 建久3(1192)年、後白河法皇が崩御します。天皇親政になったとはいえ、朝廷は九条兼実が主導していました(1196年、兼実は政変により失脚)。建久9(1198)年、後鳥羽は、土御門天皇(後鳥羽の第1皇子)に譲位。