エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
東武の独立路線「カメが走った」熊谷線の軌跡
2024年は東武東上線が開業してから110周年だという。東上線は、東武鉄道とは別会社の東上鉄道として開業... 2024年は東武東上線が開業してから110周年だという。東上線は、東武鉄道とは別会社の東上鉄道として開業したことから、伊勢崎線など東武鉄道の本線系とは路線上の接点をもたず、越生線とともに独立した運転系統となっている。 東武鉄道には、かつてこのような他系統と完全に独立した路線がもう1つあった。東武熊谷線(妻沼線)である。熊谷線は、JR高崎線、上越新幹線、秩父鉄道が乗り入れる熊谷駅から北上し、利根川南岸の旧・妻沼町(2005年に熊谷市と合併)までの約10.1kmを結ぶ非電化路線で、「カメ号」の愛称で親しまれたディーゼルカーが活躍していた。 今回は、この熊谷線の歴史を振り返りながら廃線跡を歩くとともに、以前から浮上していた、熊谷線の廃線跡等を活用する「埼群軌道新線」構想のその後についてもお伝えする。 軍の命令で戦時中に建設 熊谷線はもともと、太平洋戦争中、現在の群馬県太田市にあった中島飛行機(現
2024/08/31 リンク