エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
戦闘機に“戦車砲”そもそもなぜ付けた? 無理あっても奮戦した旧陸軍機 「双発戦闘機」の顛末 | 乗りものニュース
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
戦闘機に“戦車砲”そもそもなぜ付けた? 無理あっても奮戦した旧陸軍機 「双発戦闘機」の顛末 | 乗りものニュース
1930年代末、欧米で模索された戦闘機に「双発万能戦闘機」がありました。エンジンを2つにすれば、高速性... 1930年代末、欧米で模索された戦闘機に「双発万能戦闘機」がありました。エンジンを2つにすれば、高速性と大航続距離に加え重武装が実現できると見なされたのです。日本も旧陸海軍がそのような戦闘機を試作しました。 流行した双発戦闘機 1930年代前半、戦闘機は単発で運動性を重視し、7.7mm級の機銃の搭載が多く見られました。しかし、1934(昭和9)年になり、フランスとドイツで「双発戦闘機」構想が生まれます。 エンジンを2基にすることで機体を大型化し、単発機よりも格段に多い燃料を搭載することで、航続距離の延伸が可能となると見なされたのです。さらに複座(2人乗り)とし航法士を乗せれば、長距離侵攻に好都合と考えられました。双発戦闘機は、両翼にエンジンを積み、空いた機首に大口径機銃を搭載したり、胴体に爆弾を積んだりすることで、軽爆撃機としても使える万能機と考えられたのです。 拡大画像 旧日本陸軍の二式