エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「平成デモクラシー」の意義と限界 - 河野有理|論座アーカイブ
「平成デモクラシー」の意義と限界 政体論の復権の試み:天皇制と「平成デモクラシー」を考える(前編)... 「平成デモクラシー」の意義と限界 政体論の復権の試み:天皇制と「平成デモクラシー」を考える(前編) 河野有理 首都大学東京法学部教授 「平成デモクラシー」の起源と福沢諭吉の天皇論 政体論の復権の試み:天皇制と「平成デモクラシー」を考える(後編) 「国体」は護持されたが「政体」は変化した 「国体」は護持された。だが、「政体」は大きな変化を被った。「あの戦争」の話ではない。 日本国憲法は、1946年のその公布以来、一度たりとも修正されたことなく2019年現在に至っている。比較憲法史上まれにみる「硬い」憲法典である。ところが他方、「この国のかたち」は、とりわけまさに去りゆかんとするこの平成という時代において、大きく変化している。 憲法典を「国体」に、にもかかわらず変化した「この国のかたち」を「政体」に喩えるなら、平成とは「国体は護持された、されど政体は変わった」時代ということになろう。 もう少し
2019/02/05 リンク