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三位一体の神様(4)祈られる神 山崎純二
前回は、「複数の人格(位格・ペルソナ)でありつつ、一体なる存在」というのが奇想天外なことではなく... 前回は、「複数の人格(位格・ペルソナ)でありつつ、一体なる存在」というのが奇想天外なことではなく、私たちにごく身近な「夫婦の関係」や「共同体としての教会(キリスト者の集まり)」などを通して、ある程度は理解することができると書かせていただきました。 今回からは、より直接的に三位一体の神様に関しての聖書箇所を追いながら、どのような意味において「1」なのか、いかに「3」なのかを見ていきたいと思います。まずは「3」の意味について確認しておきましょう。 「3」に関しては、今までも語ってきましたが、三つの位格として神様が存在していることを意味しています。位格というのは人でいうところの人格のことですが、神様は人ではないので、人格とは表現せずに位格(ペルソナ)といいます。 神が三つの位格として存在していることに関しては、この連載の最初に引用した「なぜ三位一体は理解しづらいのか?」という記事の中で紹介されて