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平安朝の「造幣局」なぜ山口に? 「鋳損じ銭」が続々、周防鋳銭司跡に脚光【ズームやまぐち】 | 中国新聞デジタル
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平安朝の「造幣局」なぜ山口に? 「鋳損じ銭」が続々、周防鋳銭司跡に脚光【ズームやまぐち】 | 中国新聞デジタル
国史跡で平安時代の銭貨鋳造所だった周防鋳銭司(すおうのじゅせんし)跡(山口市鋳銭司(すぜんじ))... 国史跡で平安時代の銭貨鋳造所だった周防鋳銭司(すおうのじゅせんし)跡(山口市鋳銭司(すぜんじ))で近年、製造途中に失敗した「鋳損じ銭」の発見が相次いでいる。平安時代の銭貨3種が見つかり、当時の国の財政を支えた重要な施設であったことが裏付けられた。825年の設置から約200年間は唯一の常設の銭貨鋳造所だったとされ、歴史的に貴重な場だ。地元からは地域の活性化につながるよう、史跡の活用を望む声が上がる。 国史跡周防鋳銭司跡 鋳銭司は古代律令(りつりょう)国家の銭貨の生産を担った官営の鋳造所。奈良・平安時代に河内国(大阪府)や山城国(京都府南部)、長門国(山口県西部)にも置かれ、周防鋳銭司は825年に長門国から移設された。江戸時代には鋳造に関する遺物が見つかったとの記録が残る。1965~66年と72年の発掘調査で、工房と考えられる遺構、遺物が確認され、73年に国史跡に指定された。2017年に調査が