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番外編<大須賀少将 更迭の背景とは>映画のモデルとの見方も:北海道新聞デジタル
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番外編<大須賀少将 更迭の背景とは>映画のモデルとの見方も:北海道新聞デジタル
硫黄島着任前に父島で撮影されたとみられる大須賀応少将(右から2人目)。直さんによると、自宅から父... 硫黄島着任前に父島で撮影されたとみられる大須賀応少将(右から2人目)。直さんによると、自宅から父島に向かったときと比べてかなり痩せている=防衛庁防衛研修所戦史室著「戦史叢書」収載 太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)で、主力部隊を率いた札幌出身の大須賀応(おおすか・ことお)少将。守備隊の最高指揮官、栗林忠道中将に次ぐ地位にあり、米軍上陸前に更迭されたが、その理由や消息は不明な点が多い。生前を唯一知る三男直さん(87)=茨城県=の証言や、防衛省の記録などから、実像を追った。 「閣下、海岸での陣地なしでは勝てる戦も勝てません!」と1人の少将が栗林中将に猛然と反発する―。硫黄島守備隊の人間模様を描いたクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」の場面。この架空の少将のモデルは大須賀少将との見方がある。 旧防衛庁の戦史叢書(そうしょ)などによると、大須賀少将は1944年(昭和