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『日本人は、なぜ議論できないのか』 第4回:議論はどこでもギロン?(中)
先回の連載へのコメントにもあるように、言語が違えば、「ギロン(ここでは、複数の人間が関わる集団に... 先回の連載へのコメントにもあるように、言語が違えば、「ギロン(ここでは、複数の人間が関わる集団において、彼らが言語の意味を共有化、つまり、相互認識を形成していく過程を通して、何らかの合意が形成された時の、そこに至る一連の言語行為を意味するとする)」のアプローチ/方法論は異なるといえる。「議論」は中華人民共和国の簡体字では「议论」と表す。ところが、「議論」を日中辞典でひくと、「议论」ではなく、「争论(争論)」「争辩(争弁)」「辩论(弁論)」 とある。逆に「议论」を中日辞典でひくと「論議」「物議」「意見」「取りざたする」とある。「人間」が日本語では「人」を、中国(漢)語では「社会」を意味するほどの違いはないにしても、同じ漢字であっても、「議論(议论)」の意味は、日本と中国では異なると言える。 試しに、「argument」を英中辞書でひくと、「争论」「辩论」「言论(言論)」とあり、「议论(議論)
2013/11/11 リンク