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工場、軍隊、性風俗…仙台「駅裏」130年 歴史の陰探る 宮城大・佐々木准教授「街の負の部分支えた」 | 河北新報オンラインニュース
仙台市東八番丁(現宮城野区榴岡)の片倉組仙台製糸所。東北各地から繭を集め、1905~55年に操業... 仙台市東八番丁(現宮城野区榴岡)の片倉組仙台製糸所。東北各地から繭を集め、1905~55年に操業した=1908年ごろ かつて「駅裏」と呼ばれたJR仙台駅東口の移り変わりを宮城大事業構想学群の佐々木秀之准教授(43)=地域資源論=が研究している。開業130年を迎えた仙台駅。駅裏を「仙台市の都市化に伴い、工場や軍隊、性風俗など、歴史的に『負』の部分を支えてきた」と位置付け、歴史の陰をあぶり出している。 仙台駅は1887年に仙台停車場として開業した。当初内定した建設地は現在の仙台貨物ターミナル駅(宮城野区宮城野)付近。「駅裏は駅前になるはずだった」と佐々木准教授は言う。だが、宮城県などが「市街地から遠すぎる」と反対し、曲折を経て現在の位置に決まった。 仙台駅は当時、中心市街地に近い西側にだけ玄関口を設けた。「駅裏」と呼ばれた東側は利便性が高い一方、広い土地の確保が容易だったため、住民から敬遠され
2018/04/17 リンク