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神戸新聞NEXT|総合|激戦地フィリピン・ジャングルの悲劇 103歳女性、餓死した幼子今も夢に
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太平洋戦争の激戦地、フィリピンのミンダナオ島。日本から入植していた一家は難を逃れるため、ジャング... 太平洋戦争の激戦地、フィリピンのミンダナオ島。日本から入植していた一家は難を逃れるため、ジャングルに身を潜めた。食料不足の中、日に日に弱っていった1歳4カ月のわが子はある朝、鼻から一筋の血を流し、冷たくなっていた-。75年が過ぎ、兵庫県高砂市の施設で暮らす加武三代子(かぶみよこ)さん(103)は今も、飢え死にした次男の夢を見るという。戦後を生き抜いて5児を育て上げたが、悔恨の思いは尽きない。(千葉翔大) 島根県出身。1936(昭和11)年、マニラ麻の栽培を手掛けていた夫を追い、フィリピン・ダバオ市に渡った。アボカドなどが豊かに実り、現地人も雇うなど裕福な生活だった。 当時は米国の領土だったが、日本軍は41(同16)年12月の真珠湾攻撃直後、フィリピンに侵攻し、占領した。加武さん一家は日本に反感を持つ先住民に監禁され、日本軍に助けられるなど、命の危険にさらされるようになった。 45(同20)