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村人を潤した花に捧げた 花塚の話(横浜市港南区) - みうけんのヨコハマ原付紀行
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村人を潤した花に捧げた 花塚の話(横浜市港南区) - みうけんのヨコハマ原付紀行
地下鉄の港南中央駅を降り、横浜刑務所を越えて坂を上り、環状2号線を渡るとひときわ小高い丘の上に笹... 地下鉄の港南中央駅を降り、横浜刑務所を越えて坂を上り、環状2号線を渡るとひときわ小高い丘の上に笹下中央公園という公園がある。 この公園の近辺は以前にも紹介した雑色杉本遺跡が近くにあり、またこの台地上は笹下城を築いた北条家家臣団間宮家の家臣である北見掃部の館跡があったところでもあり、その歴史は古い。 www.miuken.net この笹下中央公園の近くには浄土真宗本願寺派の東福寺という寺があり、山号を杉本山(すぎもとさん)、院号を三月院(さんげついん)と号し、古くは親鸞上人が東国布教のとき、3ヶ月逗留したために院号を三月院とする伝承がある、由緒正しき古刹である。 この東福寺はもともと、天禄3年(972年)に天台宗の僧であった護妙法印が、比叡山より行基作「薬師像」を背負って小さな草庵を結んだことが起源とされている古刹である。 天禄3年(972年)といえば、平安時代の最盛期を迎えるころで、京の都