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中華史上最高の名君が一人!後漢の創始者「光武帝(劉秀)」 - 俺の世界史ブログ!~世界の歴史とハードボイルドワンダーランド~
始皇帝が「皇帝」を名乗ってから清のラストエンペラーが退位するまで中華史上には300人もの皇帝位を持つ... 始皇帝が「皇帝」を名乗ってから清のラストエンペラーが退位するまで中華史上には300人もの皇帝位を持つ者が存在した。 その中で最高の名君を決めるとなると候補は三人に絞られる。 清の康熙帝、宋の趙匡胤、そして後漢の創始者光武帝の3人だ。 今回はそんな中華史上最高の名君の一人である劉秀こと光武帝のお話。 仕官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華 徳川第八代将軍徳川吉宗が将軍位から程遠い存在であったことは知られるが、後の光武帝こと劉秀はそれよりもさらに皇帝位から遠い存在であった。 漢の高祖こと劉邦が国を興して以来200年が経ち、劉姓を持つ者はもはや数えきれないほどの数となった。漢の武帝の兄弟である中山王劉勝などは子供だけでも50人以上いたと言い、劉備もその子孫であると言われている。 劉秀の直系を辿っていくと漢の第六代皇帝景帝までさかのぼることが出来、その子供である長沙王劉発の子孫が後の光武帝ということ
2019/06/19 リンク