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中国政局の「怪」は王滬寧の行き過ぎた習近平礼賛にあった
中国の政局に何やら怪しい風が吹いている。聖地化された文革時代の習近平の下放先「梁家河」に関して王... 中国の政局に何やら怪しい風が吹いている。聖地化された文革時代の習近平の下放先「梁家河」に関して王滬寧が習近平の個人崇拝を煽り過ぎ世論の反発を招いた。危険を感じた習近平が自ら禁止したことが「怪」の正体だ。 研究課題「梁家河」大学問でつまずいた王滬寧 チャイナ・セブンの一人である王滬(こ)寧(党内序列5。イデオロギー担当)は、聖地化された「梁家河」(りょうかが)を「梁家河」大学問という研究課題で推進し、習近平への崇拝をさらに強化しようとしたが、それが行き過ぎてしくじってしまった。 「梁家河」というのは、文化大革命時代、習近平(1953年6月15日生まれ)がまだ15歳だった1969年1月、下放のために行った先の地名だ。正確には陝西(せんせい)省延安市延川県文安驛(やく)鎮にある村である。習近平は1975年までの7年間、梁家河にいた。 延安は毛沢東の革命の地。15歳の習近平は自ら下放先に延安を選ん
2018/08/07 リンク