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【西論】「ずっと夢をみつづけておりました」…豊臣家滅亡とダブる、この国の「平和ボケ」 大坂の陣400年(1/3ページ)
徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂夏の陣(1615年)から400年がたつ。落城迫る大坂城に籠もる豊臣... 徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂夏の陣(1615年)から400年がたつ。落城迫る大坂城に籠もる豊臣方について、歴史作家の伊東潤氏が「何とかなる、という平和ぼけした姿は今の日本とダブる」と指摘した。 大坂の陣を描いた司馬遼太郎の小説「城塞」をテーマとした、「菜の花忌シンポジウム」(2月7日)での氏のこの発言には、どきりとさせる鋭さがあった。会場を埋めた千数百人の聴衆も、大なり小なりそう感じたのではないかと思う。 豊臣秀吉が官位にこだわり、都の貴人に憧れたのはよく知られている。秀吉の死後、再び世が乱れても大坂城内に残された秀頼や淀殿たちは平和で貴族的な雰囲気から抜け出すことはできなかった。貴族的な環境と教育で育った結果だった。そして徳川家康の奸計(かんけい)に手玉に取られていく。小説・城塞では繰り返し、城内の信じがたい様子が描写されている。 まさか戦になるまい-。これは家康が大坂攻めの最初の命を
2015/03/07 リンク