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息子いない 母 止まった25年 松本サリン事件:東京新聞 TOKYO Web
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息子いない 母 止まった25年 松本サリン事件:東京新聞 TOKYO Web
8人が死亡した1994年の松本サリン事件から、27日で25年を迎えた。「息子のことを一日も忘れた... 8人が死亡した1994年の松本サリン事件から、27日で25年を迎えた。「息子のことを一日も忘れたことはない」。事件で次男を失った小林房枝さん(77)=静岡県掛川市=の時は止まったままだ。「死刑が執行されても息子は帰ってこない」。悲しみが癒えることはない。 「息子さんが危篤です」。九四年六月二十八日早朝、突然の電話を受け、房枝さんは夫と長野県松本市に向かった。次男の豊さん=当時(23)=は二十七日夜に猛毒サリンがまかれた現場近くのアパートで倒れ、病院に運ばれたが翌二十八日に死亡。到着した時、豊さんは既に警察署に置かれたひつぎの中だった。房枝さんは「悲しい、つらい、寂しいという気持ちがごちゃ混ぜになった」と振り返る。 豊さんは高校まで掛川市で過ごした。努力家で人懐こく、明るい性格。大学進学で上京し、東京の電機会社に就職。システムエンジニアとして社会人二年目の九四年五月末、長期出張のため松本市へ