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土木遺産 横浜・京浜港ドック 埋もれた歴史 朝鮮人労働者 悲劇の跡 関東大震災後「虐殺」標的に:東京新聞 TOKYO Web
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土木遺産 横浜・京浜港ドック 埋もれた歴史 朝鮮人労働者 悲劇の跡 関東大震災後「虐殺」標的に:東京新聞 TOKYO Web
土木遺産で海洋港湾技術の実証試験に活用される京浜港ドック。右奥にコットンハーバー地区の高層マンシ... 土木遺産で海洋港湾技術の実証試験に活用される京浜港ドック。右奥にコットンハーバー地区の高層マンション群が見える 横浜市神奈川区の京浜港ドックは関東大震災の被害を乗り越え、横浜港の発展を支えた土木遺産とされる。だが、建設に携わった朝鮮人労働者が民衆に虐殺されたことはあまり知られていない。京浜港ドックを訪ね、重厚な歴史に埋もれた悲劇の跡をたどった。(阿部博行) 京浜港ドックは山内埠頭(ふとう)にある国土交通省の施設。長さ109メートル、底部の幅25・5メートル、深さ8・5メートルの巨大な空間は壮観だ。大正時代最後の1926年に完成し、横浜港の拡張に必要な鉄筋コンクリート製ケーソン(構造物)を同時に何個も製作。運び出すときは海側の鉄製ゲートから海水を取り込み、浮かせたケーソンを船でえい航した。