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校閲を大事にする会社|『「本をつくる」という仕事』刊行記念|稲泉 連|webちくま
1月刊、稲泉連『「本をつくる」という仕事』から1章分掲載の第2回目です。 今回はお話では、熱気あふ... 1月刊、稲泉連『「本をつくる」という仕事』から1章分掲載の第2回目です。 今回はお話では、熱気あふれる時代の出版社の空気にふれることができます。 文学の熱気あふれる出版社へ 矢彦さんが新潮社へ入社したのは一九七〇年。 街がざわついていた時代だった。 高田馬場に借りたアパートから矢来町の社屋に歩いていくと、安保闘争の学生たちが大勢いた。入社前には機動隊に投石する一群に投げ込まれた催涙ガスを吸い込み、涙が止まらなくなったこともある。 一九七〇年は一一月に三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地でクーデターを促し、割腹自殺を遂げた「三島事件」が起こった年だ。 三島の作品を多く出版していた新潮社も蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、翌年にかけて三島作品が飛ぶように売れたものだった。矢彦さんはそのような時期に、校閲部員としての最初の一年間を過ごすことになった。 長野県出身の彼は、高校生の頃から『古事記』や『万葉
2017/02/02 リンク