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Web評論誌「コーラ」創刊号 倫理の現在
■オリエンタリズムとしての対抗言説 初めにお断りておく。筆者は僧侶でもなければ特定の宗派の信者でも... ■オリエンタリズムとしての対抗言説 初めにお断りておく。筆者は僧侶でもなければ特定の宗派の信者でもなく、ましてや仏教史を専門とする研究者でもない。単に宗教への漠然とした関心から時折「仏教書」をひもとく素人読者に過ぎない。しかし、その素人の目から見ても首を傾げたくなることがある。本稿ではその一端について述べて、諸賢のご教示を仰ぐ縁にしたい。 さて、ある人によれば昨年はちょっとした仏教書ブームだったのだそうだが、人々の関心が仏教に向くとき、そこには何かしら好意的な錯覚とでも言えるものがあるように思う。 私たち「仏教書」ファンは、特に鎌倉仏教の達成を思うとき、仏教の可能性ということについつい期待を寄せてしまいがちになるようだ。しかし、仏教の可能性への期待を語る言葉として、これまでよくなされてきたのは、例えば次のようなものである。 「理性に信頼を置き、あくなき世界改造に進んできた背後には、