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安芸の夜長の暇語り 織田信長からの毛利への和議申し出(明智光秀経由)
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安芸の夜長の暇語り 織田信長からの毛利への和議申し出(明智光秀経由)
読んだ本や安芸の歴史など気の向くままに書き綴るサイト。 今のところ中世、毛利元就とその周辺の国人達... 読んだ本や安芸の歴史など気の向くままに書き綴るサイト。 今のところ中世、毛利元就とその周辺の国人達が主。 天正4年に英賀合戦で奇襲を仕掛けられ、決裂した織田と毛利の入魂ですが、 天正4年以降に一度、復縁しようとする動きがありました。 それも織田信長の方から。 巻子本厳島文書に納められている書状です。 81号 書き下し文 備後様御覧 安国寺恵瓊状 「隆景よりの書状御被見入り候、御心得為す候 追って申せ令め候、上口所々儀は上下の船便など具に聞こし召し及ばれるべく候 さりながら備前表の儀も、1年2年の間には、今の分は隙明く申すまじく候 殊更一両度楚忽の動きなどに彼方へ競い候はば、是非に及ばず候 彼家中草臥れ候もの大形ならず候、取り合いたる家来候条召されようにて一城に罷り成るべく候、 しかりと雖も京都を後ろにあて候、京都寄宇喜多半ばも一圓半熟にて御座候 この節信長此方の御調い専一候。 操りの趣き三