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asahi.com(朝日新聞社):安全な高台か、便利な海岸か 明暗分けた選択 - 社会
東日本大震災で、かつての津波の教訓で高台に移転した集落は被害を免れ、海岸に残った街は壊滅した。復... 東日本大震災で、かつての津波の教訓で高台に移転した集落は被害を免れ、海岸に残った街は壊滅した。復興策に政府も検討を始めた高所移転。数十年に1度の災害に備え、不便な高台に住み続けるのは簡単ではない。 岩手県大船渡市三陸町綾里の白浜集落。付近は標高23メートルまで津波が駆け上がったが、約200人が住む62戸の住宅は無傷で犠牲者もいなかった。1933年の昭和三陸大津波を機に、海岸から高台に移していた。 民宿経営の熊谷正吾さん(85)によると、当時、未明の暗闇を襲った大津波で、住民211人のうち62人が死亡、家屋はほぼ壊滅。生き残った人々は高台に唯一残った家にすし詰めになって暮らしながら、そこより上に集落を再建すると決めたという。 再興し、次世代が育っても、いろりを囲んで子らに話すのは津波の恐怖。「谷底に住めば、毎日の漁は楽になる。でも80年間、誰も戻ろうと言い出さなかった」と熊谷さんは言う
2011/04/23 リンク