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FujiSankei Business i. ラスプーチンと呼ばれた男 佐藤優の地球を斬る/危機のときの外交官
5月23日付で述べたように筆者は現在、外務省元アメリカ局長の吉野文六氏から聞き取りを続けている。... 5月23日付で述べたように筆者は現在、外務省元アメリカ局長の吉野文六氏から聞き取りを続けている。マスメディアでは吉野氏について、沖縄返還において日米両政府間に密約が存在したことを日本側の交渉当事者として初めて明らかにした人物という点でしか関心を示していない。しかし、吉野氏の証言は沖縄密約にとどまらず、20世紀の日本外交を検証する上でもきわめて貴重だ。 1945年4月、ソ連軍によるベルリン攻撃が必至になったとき、大島浩駐独大使以下、日本大使館のほとんどの職員はドイツ南部の温泉地バードガシュタインに避難する。ドイツの軍人や政府高官はソ連軍の捕虜になることを恐れていた。戦争末期にこれらのドイツ人は、アメリカ軍の捕虜になることを織り込み、西部や南部に逃げる。当時、ソ連と日本は外交関係をもっていたので、国際法的にはベルリンにソ連軍が侵攻してきても、日本人が捕虜になることはない。しかし、大島大使以
2007/06/16 リンク