エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
はる書房 世界名作名訳シリーズ 巖窟王
フランスの大衆小説作家アレクサンドル・デュマ(大デュマ)の長編《モンテ・クリスト伯》の抄訳が初め... フランスの大衆小説作家アレクサンドル・デュマ(大デュマ)の長編《モンテ・クリスト伯》の抄訳が初めて日本に紹介されたのは明治二十年、関直彦による『西洋復讐奇譚(きたん)』というものであった。 日刊紙「萬(よろず)朝報」の社主だった黒岩涙香が英訳本から重訳し《巖窟王》という題で新聞連載を始めたのは明治三十四年(一九〇一)三月十八日である。翌年六月十四日にこれが終結すると次にヴィクトル・ユゴーの《レ・ミゼラブル》を《噫無情》の名で連載した。この二つの翻訳小説は戦前広く愛読され、現在でも少年少女向き文学全集では『巌窟王』『ああ無情』のタイトルが使われている。 デュマの原作も新聞小説として登場したもので一八四四─四五年、パリの「討論(デバ)」という新聞に連載された。これに前後してデュマは《三銃士》と《王妃マルゴ》を発表し、《椿姫》を書いた同姓同名の息子(小デュマ)らも加わって、ストーリーの面白さを前