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原発震災後の半難民生活:宇都宮沖縄間右往左往#01|マガジン9
序:被曝の海のなかで 2011年3月15日午前10時、私は妊娠7か月の妻と3歳の娘を連れて、住み始めてから四... 序:被曝の海のなかで 2011年3月15日午前10時、私は妊娠7か月の妻と3歳の娘を連れて、住み始めてから四年目の宇都宮の街を離れました。福島第一原発の原子炉で、爆発事故が相次いだためです。 持ち物はスーツケース、旅行バッグ、パソコンをひとつずつ。ほかに持ちだすことができたのは、自分たちの体だけでした。ひょっとすると、もう二度とこの宇都宮には戻れないかもしれない。そんなせっぱつまった予感に駆り立てられていたので、家財道具はもちろん、私が研究者として積みあげてきた業績も、これまで集めてきた蔵書、ビデオ、娘の絵本も、妻が制作してきた能面のコレクションも、かたっぱしから棄て去るつもりで飛びだしたのです。 もう宇都宮には戻れないかもしれない……この予感の半分は的中し、半分は見事に外れました。少なくともこれまでのところ、妻と子供たちは避難先の沖縄にとどまり、私は職場のある宇都宮に戻ることになったから
2011/10/12 リンク