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平城京跡近くに畑の遺構…都の食支える? : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
南北、東西方向に整然と多くの溝が掘られた南六条北ミノ遺跡(右上が北)(2012年11月、奈良県大... 南北、東西方向に整然と多くの溝が掘られた南六条北ミノ遺跡(右上が北)(2012年11月、奈良県大和郡山市で)=関口和哉撮影 平城京跡南の郊外にある奈良県大和郡山市の南六条北ミノ遺跡で、奈良時代(8世紀)に計画的に整備された畑の跡とみられる遺構を、同県立橿原考古学研究所が確認した。 平城京跡周辺で、大規模な耕作地の跡が見つかった例はなく、同研究所は「食料が都にどのように供給されていたのかは不明だったが、すぐ近くに大規模生産地があったことが判明した」としている。 同研究所によると、調査地は平城京南端の羅城門(らじょうもん)跡の南約2キロ。南北35メートル、東西60メートルの広範囲に多数の溝が規則正しく掘られていた。8世紀前半~中頃に、東西方向の溝(幅30~40センチ、深さ約20センチ)を多数掘り、その後に南北方向の溝(同)を3メートル間隔で作っていたことがわかった。東西方向の溝は開墾した跡、南
2013/04/26 リンク