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『サブカルチャー神話解体 増補―少女・音楽・マンガ・性の変容と現在』を読んだ。同書は、1993年に発売された『サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の30年とコミュニケーションの現在』に、文庫増補版へのまえがき、文庫増補版へのあとがき 、序章、および上野千鶴子氏による解説「宮台真司はどこへ行く?」が新たに加えられて文庫化されたもの。現代のサブカルチャーの分析こそありませんが、サブカルチャーをめぐるコミュニケーションの系譜を知るには相変わらず重要な一冊。 文庫を手にして久しぶりに読んだのだけれど、以前読んだときより遥かに体力が必要だった。本書に書かれていない、歴史の空白部分を埋めるための言葉を模索しながら読む必要があったからだ。もちろん、1993年以降にどんなアニメが流行し、どんな音楽が消費され…といった系譜を埋めていくだけならそれほど難しくない。ウェブ上でもそのような年表はいくらで
話の枕なんだが、先日、若いころ勉強して今でも役立ったのってなんだろと思った。自分なりの結果論は、古典(文献学・聖書学を含む)と語学だろうか。私の場合、どっちもいいかげんなんだが。 他の分野はどうだろうか。数学の基礎的な部分というのは時代とともに変わるということはない。昔勉強した基礎論とかは今ではきちんと思い出せないけど、クルト・ゲーデルの不完全性定理の内容が変わるわけではない。 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの「論考」も変わらないが、「哲学探究」や最晩年の思想とかは最新研究で変わる。ハイデガーとかもそう。カール・ポパーの反証可能性議論なんかも最終的な思想とは言い難い云々。哲学系はけっこう時代とともにその受容方法が変わる。 やっかいなのが科学知識だ。科学というのは確かな知識を伝えているかというと、これが基本的にどれも仮説であって、それなりに時代とともに知識をリニューしてないと変わってくる
ポータル(玄関)サイトとして展開していた「LYCOS」が近く、日本に再上陸することが、3月15日までに分かった。現在、同サイトは動画共有サービスを軸としたコミュニティーサイトとしてテスト展開している。 すでにベータ版として公開されている「LYCOS clip」(ライコスクリップ)は、「動画」「写真」「ブログ」「検索」──の大きく4カテゴリのサービスで構成されている。特に、動画共有サービスを強みとして押し出しているようだ。 サイト内にはバナー広告枠や映画のプロモーション映像などがあることから、本サービス開始時にはこれら広告を中心とした収益モデルで展開すると見られる。 運営会社のタオンはコミュニケーションサイト「Cafesta」(カフェスタ)の運営などを手がけており、主要株主はKDDIと韓国で大手コミュニティーサイトを運営するDaum Communications。Daumは米Lycosの親会
斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 日時: 3月6日(火) 14:00−16:00 場所: ユメンヌホール(大阪大学人間科学部東館 2階 207講義室) 概要: 脳科学ブームの昨今、脳で人間の心や社会が説明できるかのような言説がまかり通っている。 しかし実際には、現時点での脳科学は、人間の心や行動を整合的に説明できる学問たりえてはいない。 精神医学者アンリ・エイは、脳の障害と精神症状との間にギャップがあることをふまえて「器質−臨床的隔たり」と呼んだ。 この指摘はいまこそ有用である。 「階層性−非階層性」をキーワードとして、脳科学による心の解明において、設定されるべき限界について述べる。 聴講してきました。 同講演に参加されていた、谷川茂氏(双風社): 「斎藤環さんのセミナーにいってきました」 以下、音声ファイルや配布されたレジュメなどを元に、大まかな記録をアップします。
今日はオープンしたばかりのららぽーと横浜を覗きにいきました。もう、死ぬほど混んでました。欲しいものもいくつかあったんですが、何を買うにも長蛇の列で、嫌になって何も買わずに帰ってきてしまいました。かなり疲れました。目に付いた施設はこんな感じ。 紀伊国屋書店ららぽーと横浜店…この3月に狂ったように出店している紀伊国屋書店の最新型。しかしながら残念なことに得るものはほとんどなく、横浜駅前の紀伊国屋さんのほうがはるかにすばらしい店であるように思います。店内は右上の図のような8の字ダンスのような構造になっていて、歩きにくくて探しにくい店です。レジは2箇所あるんですが、中央のレジにお客さんが集中し長蛇の列になっているのに対して左上のレジの人は暇そうにしていました。これは店舗レイアウト的に失敗なのではないでしょうか?MD的にも感心せず。これは何だかダメな気がします。 リサとガスパールオフィシャルショップ
東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 - 動物化するポストモダン2』 2007.03.21 Wednesday ゲーム的リアリズムの誕生- 動物化するポストモダン2 一般の小説や純文学とは違って表舞台ではほとんど語られる事のない、もう一つの文学「ライトノベル」「美少女ゲーム」。つまりオタクの文学(?)であるラノベとエロゲからポストモダンな社会での物語の可能性を探ります。 「ゲーム的リアリズムの誕生」概要 大きな物語が衰退した現代では、物語は現実からではなくデータベースから作られる(第1章Aパート)。 一般小説や純文学が現実を描く(自然主義的リアリズム)のに対しライトノベルは現実を半分だけ描く(まんが・アニメ的リアリズム)。平凡な学園生活でありながら知り合いには宇宙人、未来人、超能力者がいる…など。日常に混ざった非日常、そんな虚構を通してしか描けない「現実」に純文学とは異なる可能性がある(第1章
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