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日本の安倍晋三首相が先週、インドネシアのアジア・アフリカ会議に出席し、中国の習近平(シー・チンピン)国家主席らと会談した。安倍は「強い者が、弱い者を力で振り回すことは、断じてあってはならない」と演説したが、物足りない感は否めない。 バンドン会議とも称されるこの国際会議は、60年前、独立したばかりのインドネシアのスカルノ大統領と「エジプトのライオン」ナセル首相、インドのネール首相らの推進で実現したものだ。 史上初めてとなる、アジアとアフリカの有力な政治家たちが一堂に会した会議は「反帝国主義と反植民地主義」を訴えて「バンドン10原則」を宣言した。「すべての国家の主権と領土保全の尊重」「あらゆる人類の平等と大小すべての国家の平等の承認」「侵略または武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立を侵さない」......。 どれも美しいスローガンだったが、何よりもアジア・アフリカ諸国にとっては白人の植
地政学が一般にそれほど知られていない最大の理由は、なんといってもドイツ地政学にある。 「ドイツ地政学」(ゲオポリティーク:geopolitik)は、地政学の知的伝統を20世紀後半に歴史の闇に葬り去る上で、大きな役割を果たした。 ドイツ地政学そのものは、19世紀後半のドイツに生まれた。そして、20世紀初頭にナチス・ドイツに活用され、その拡大主義や人種差別主義を支える理論的支柱の役割を果たした。それゆえ悪名高くなったドイツ地政学は最終的には第二次大戦の終了と共に終わった。 ここではその複雑さを踏まえながらも、歴史的に大きな役割を果たした2人の人物について、話を進めていきたい。 ドイツ地政学の祖:ラッツェル フリードリヒ・ラッツェル(1844~1904)は、「政治地理学」(political geography)の元祖として知られている学者。彼の主著のタイトルは、まさに『政治地理学』(1897)
日本と異なる歴史、根拠に/楽観的理想主義、地元でも疑問視 1972年5月15日、沖縄が日本に復帰した。東京で開かれた記念式典の最後、佐藤栄作首相が「日本国」と「天皇陛下」万歳三唱の音頭をとった。天皇陛下万歳の方は当初の予定になかった。その日の毎日新聞夕刊は「沖縄万歳といってくれるならまだしも」と、沖縄側の憤慨を伝えた。だが、首相の暴走は単なるハプニングだったのか。もっと根の深い違和感を覚えた人が、沖縄には少なくなかったのかもしれない。初めから、何かがずれていたのか。 41年たった2013年5月15日、「琉球民族独立総合研究学会」が発足した。趣意書によれば、琉球民族が独立することを前提に、その実現に必要な研究、討論、人材育成を行う学会である。独立に関する学会は琉球史上、初の創設とのことだ。 米軍普天間飛行場の辺野古移設問題を機に、沖縄の独立をあおるメディアも出てきた。沖縄独立が切迫した課題だ
はじめまして。 これから「幹事の味方」で、様々なシチュエーションにおける「幹事道」を紹介させていただくことになった中川淳一郎と申します。 私は禁酒時を除き、年間340日ぐらいは酒を飲んでいる、いわば「ベテラン宴会プレイヤー」でもあります。 本連載では、私の幹事道の極意紹介だけでなく、他の有段者(名幹事)の皆様の技もご紹介しておきます。 それでは第一回は、「美人女子大生アルバイト、そして美人社員を連れてきた男性上司と4人で楽しく過ごす幹事道」です。 幹事道【第一回】 うわーーーーーん!!!! ど、どうしたんですか? うわーーーーーーーーーーーーーん!!!!!! ちょっとちょっと……、泣いているだけでは分かりませんよ! 状況だけでも教えてくださいよ! オッ、オレ、ゆっ、夢があったんだよ……。 それはなんですか? オッ、オレ、大学卒業してからの18年間、一回も女子大生と飲んだことがないんだよ。聞
4年前の初夏。仙台で聞いた奥山恵美子市長のひと言が耳に残っている。「共通番号があれば、どんなに助かったか」東日本大震災の発生から間もない市内は、沿岸部の爪痕が生々しかった。市長の念頭にあったのは、あの津波で一切合切が流されてしまった病院から、命からがら避難所に逃れてきた高齢の入院患者たちだ。避難所を回って被災者の健康管理にあたっていた医師からも、同じ訴えを聞いた。「慢性疾患をいくつも抱えたお
電力会社の電気に頼らず、どこまで暮らせるのか。1カ月の電気代を190円にまで下げた一人暮らし男性記者の「5アンペア生活」。昨夏から、その暮らしに伴侶が加わった。夫婦でも5アンペア、続けています。 ■妻も慣れ「つらくない」 10アンペアのエアコンも13アンペアの電気炊飯器も使えない。そんな節電生活は結婚を機に終わりだろう。誰もがそう思っていたようだ。「続ける」と言うと、両親を含め多くの人が「せめて2人で10アンペアにしたら」と反対した。 2012年7月、「普通の暮らしはできない」と電力会社の人に忠告されながら5アンペア生活を始めた。エアコンがわりに扇風機と行水、炊飯器は鍋炊きにかえた。名古屋に転勤した後はベランダにソーラーパネルを設置。今では扇風機もポータブル冷蔵庫も太陽光で動かしている。 「2人でもできる」。私はそう思ったが、無理強いはよくない。6歳年下で保育士の妻(34)に確かめると「や
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