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岩本素白に関するfunaki_naotoのブックマーク (16)

  • 黄金の釘一つ打つ――『岩本素白 人と作品』 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    以前ここで来嶋靖生さんの評伝『岩素白』が河出書房新社より刊行されると書いた*1。それは予定どおり無事刊行され、大方の好評を博したようである。微力ながら同書の編集に関わったものとして欣懐を禁じ得ない。「槻の木」八月号に掲載された小文を以下に再録する。 黄金の釘一つ打つ 以下に記すのは書評ではない。『岩素白 人と作品』の制作に忝くも関与せさせられた者として、ふつつかな感想を述べるにすぎない。 素白が「槻の木」に初めて書いた文章「早春」、四百字三枚強・全文が書に引用せられている。以下に「早春」のあらましを記す。 素白は、書き物か読書かに倦んで、縁側でなにともなく老梅を眺めている。ふと、先に近所であった失火と、そのさいに詠んだ句「昼火事をうしろに白し梅の花」を思い出し、堪らなく嫌な気持になる。 「それは此の句が月並を通り越して、嫌みをさへ有つてゐる為ばかりでは無い。もう毛の擦り切れた安価な古

    黄金の釘一つ打つ――『岩本素白 人と作品』 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • コラム別に読む : 岩本素白 人と作品 [著]来嶋靖生 - 真保偕 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

  • 岩本素白/久保天随 - 黌門客

    素白の随筆については、「岩素白の随筆」や、「岩素白の随筆ふたたび」、「文庫玉手箱・『閑話休題』覚書」で触れたことがある。 素白と云えば、数年前にある場所で、砂子屋(まなごや)書房版*1の『山居俗情』(函入)を見かけた。自由に持ち帰ってもいいということで、状態も良いからかなり迷ったのだが、平凡社ライブラリー版を持っているし、直前に八雲書林版の山頭火『草木塔』を頂いていたしで、結局遠慮して頂かずにしまった。今はきっと、収まるべきところに収まっているものと信じたい。 この一月、素白の作品はついにちくま文庫に入った。早川茉莉編『素湯のような話―お菓子に散歩に骨董屋』、である。随筆のみならず小説「消えた火」を収め、素白に師事した伴悦氏の解説(「素白随筆文学の風容」)なども附いている。 さらに今春、来嶋靖生『岩素白 人と作品』(河出書房新社)が出た。来嶋氏は、ウェッジ文庫版『東海道品川宿』を編

    岩本素白/久保天随 - 黌門客
  • 筑摩書房 PR誌ちくま|素白の目、素白の耳/高遠弘美

    素白を読み始めてからそろそろ四十年が経つ。私事にわたって恐縮ながら、まずは素白との関わりから書いてみたい。 一九七四年のことである。当時仏文科修士課程に入ったばかりの私は、村上菊一郎先生の研究室によくお邪魔してはフランス文学のみならず、日文学の話を伺っていた。あるとき、大学近くの交差点で私に気がついた先生が仰った。 「ソハクの全集が出たね」 冷汗が出た。ソハクと耳に聞こえた人名らしき音にまったく思い当たるところがなかったからである。正直に知らない旨を申し上げると、先生は冷ややかな笑いを秘めてこう返された。 「なんだ。君はふだん、日文学をずいぶん読んでいると言いながら、素白も知らないのか」 私は先生に一礼してすぐに屋に向かって『岩素白全集』(春秋社)第一巻を買った。その日のうちに読み切って、素白の文章に打たれた私は自らの不明を恥じた。と同時に、師恩というのはこういう形でもたらされ

  • 物の見えたる――素白雑感 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    昨年暮れから正月にかけて故あってずっと岩素白の随筆に親しんでいた。年明けには新たなアンソロジー『素湯のような話』もちくま文庫から出た。 早川茉莉編になる『素湯のような話』は総頁数440に及ぶ文庫にしては大冊で、『東海道品川宿』(ウェッジ文庫)のおよそ倍の分量である。あれも入れたいこれも入れようとするうちに頁数が増えてしまったのではないかと想像した。テーマ別編集というのか、素白雑貨、素白好み、読我書屋、孤杖飄然…といった表題のついた七章に、単行未収録の小説「消えた火」が附載されている。 「素湯のような話」は「南駅余情」の序として歌誌「槻の木」に掲載され、その後「南駅余情」は断続的に連載された(4回、中に「板橋夜話」1、2を含む)。『東海道品川宿』ではその全5回分がまとめて収録されているが、『素湯のような話』では序章および1と3とが別々の章に振り分けられている。 『素湯のような話』には先行

    物の見えたる――素白雑感 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • 文庫本玉手箱・「閑話休題」覚書 - 黌門客

    ■坪内祐三『文庫玉手箱』(文藝春秋) 文庫玉手箱 作者: 坪内祐三出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2009/06メディア: 単行購入: 1人 クリック: 5回この商品を含むブログ (26件) を見る 数えてみると、紹介された文庫のうち、126冊を新屋で手に取るか読むか買うかしていた(うち頂いたものが2冊)。読書傾向が、坪内氏に少しでも近づきつつあるのは嬉しい。共感したおぼえのある一文が引いてあったりすると、なお嬉しい。 佐々木嘉信/産経新聞社編『刑事一代―平塚八兵衛の昭和事件史』(新潮文庫)(pp.43-45)は、この六月にTVドラマ(渡辺謙主演)が放送されるはずだが、「テレビ朝日系列」というのがちょっと不思議だ。というのも、「下山事件」に関しては、平塚はもちろん彼の所属した捜査一課や毎日は自殺説を主張し、捜査二課や朝日は他殺説を展開したはずだからだ*1。 奥島貞雄『自民党

    文庫本玉手箱・「閑話休題」覚書 - 黌門客
  • To the happy few ――『柳田泉の文学遺産』 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    村上春樹さんの新作『1Q84』が書店に文字通り山積みになっていた。発売日に上下巻あわせて六十八万部(四刷)という数字は純文学の小説としては前代未聞じゃないだろうか。純文学じゃなくても近年では記憶にない(ハリポタぐらいか)。わたしもその売上げに貢献した一人であるわけだが、ここではちょうど同じ頃ひっそりと刊行された一冊のについて書いておきたい。いずれが真に「文学的事件」と呼ぶに値するかはわたしの判断のおよぶところではない。 『柳田泉の文学遺産』第三巻。近代文学研究の泰山北斗柳田泉の業績を全三巻に収めた文藝論集だが、驚くべきはそのすべてが単行未収録の文章によって構成されていることである。余滴というには膨大な量の文章が各紙誌に発表されたまま柳田没後四十年の今日まで埋もれていたことは出版界の怠慢というべきだが、漸くここにハンディな形で輯成されたことを言祝ぐとともに、編集に当られた川村伸秀氏の労を

    To the happy few ――『柳田泉の文学遺産』 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • 今日の平凡社: 素白随筆遺珠・学芸文集 

    2009年5月15日 素白随筆遺珠・学芸文集  5月の平凡社ライブラリー新刊より、 岩素白『素白随筆遺珠・学芸文集』をご紹介します。 底は『岩素白全集』第2巻、第3巻(春秋社、1975年)。 「素白随筆集遺珠」34篇、「日文学の写実的精神」8篇を収録。 みすず書房『素白先生の散歩』(在庫僅少だそうです)、 ウェッジ文庫『東海道品川宿 岩素白随筆集』、 平凡社ライブラリーの既刊『素白随筆集 山居俗情・素白集』 とあわせてお読みください。 78年の生涯で研究論文集1冊、随筆集2冊だけを残した素白の文章が、 これでほぼ、あらためて一般に手に入りやすくなりました。 以下は池内紀さんの解説より。  どうしてだろう?  ものすべてがおそろしく早々と忘れ去られるなかになって、  岩素白はそうならない。  この世にくり返し、もどってくる。  まるでその名のとおり、ハデやかな色が急速に褪せてゆく

  • 岩本素白本 - 読書で日暮らし

  • がんぽんち、あるいは雨夜の品定め - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    素白に「がんぽんち」という随筆がある*1。遠国から江戸へ出てきた侍が国への土産話に流行りの小唄を書きとめて帰った。「成ると成らぬは眼もとで知れる、今朝の眼もとは成る眼もと」という俗謡で、くだんの侍はそれを「成与不成眼知。今朝眼成眼」と書きつけておいたのだが、国もとへ帰りさてそれを披露しようと思ったところ生憎と思いだせない。しばらく書附けをながめたのち、こう読みあげた。「成(せい)と不成(ふせい)は眼知(がんぽんち)。今朝がんぽん、せいがんぽん」。 この笑話を枕にふって、素白は当節流行りの生硬蕪雑な漢語の横行を批判する。曰く、「成可く早く」で十分間に合うのに「可及的迅速に」とはどういう積りか。「睡りが足らない」「人かずが殖ゑる」を「睡眠不足」「人口増殖」、「鳥小屋」を「鶏舎」とは、と素白は歎ずる。昭和十三年に書かれた随筆だが、漢語をカタカナの外来語に置き換えれば昨今も事情はまった

    がんぽんち、あるいは雨夜の品定め - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • 魔法の杖の呪文 - 記憶の彼方へ

    asin:4863100132 asin:4582766390 素白先生の随筆が手頃な値段の文庫と新書で読めるようになった。文庫の方は、歌人の来嶋靖生氏が『岩素白全集』全三巻(1974年?1975年、春秋社)を底に撰集し、「解説」も書いた『岩素白随筆集 東海道品川宿』(ウェッジ文庫、2007年)。そして新書の方は『山居俗情』(1938年、砂子屋書房刊)および『素白集』(1947年、東京出版)を底として編まれた『素白随筆集』(平凡社ライブラリー、2008年)である。後者では以前紹介した『月光に書を読む』の著者鶴ヶ谷真一氏が解説を書いている。 この二冊に目を通していて、私がなぜ素白先生の随筆に惹かれるのか、その理由の一端が分かった気がした。「魔法の杖」の故だった。 素白の心には、自らの年齢も考え、生まれ育った品川のことを納得の行く文章にまとめたいという気持ちが次第に強まってきたのであろ

    魔法の杖の呪文 - 記憶の彼方へ
  • 随筆が読書人をひきつける - 読書で日暮らし

  • 「かやつり草」の余白に――岩本素白の随筆(その3) - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    平凡社ライブラリーから『素白随筆集』が出た。素白が生前に刊行した二冊の随筆集『山居俗情』と『素白集』とを合したもの。わたしは原を架蔵していないが、原の旧仮名遣いを踏襲したむね記されている。漢字は新字になっているけれども、藝、附など特定の漢字には旧字が用いられている。見識といえよう。 『山居俗情』の冒頭に、読我書屋雑筆の総題のもと五篇の随筆があり、その第一篇「かやつり草」は、素白が初めて歌誌「槻の木」(昭和九年四月)に寄稿した随筆である。文庫版『東海道品川宿』の解説で、編者である来嶋靖生さんが≪「読我書屋」とは素白が自ら名付けた斎号で、客間の壁に扁額として懸かっていたという。麻布善福寺の裏手の丘の上、現在の元麻布一丁目三六に当たる。≫と書いていられる。素白はこの善福寺の裏手、旧地名でいえば麻布区山元町三六の住いであけくれ読書に勤しんだ。 「ある夏の日の午後であつた」と素白は「かやつり草

    「かやつり草」の余白に――岩本素白の随筆(その3) - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • 岩本素白の随筆ふたたび - 黌門客

    鶴ヶ谷真一『月光に書を読む』(平凡社)の「あとがき」に、「はなによりもゆっくりと読まなければならない。読書のしずかな喜びも、発見も批評も、ゆっくりと読むことから生れてくる」(pp.227)とあるが、この自体、ゆっくり読むのに適している。 細切れではあるが、少しずつ読みすすめている。 月光に書を読む 作者: 鶴ヶ谷真一出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2008/04/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 17回この商品を含むブログ (11件) を見る 書所収「月光に書を読む」「素白点描」「読書人柴田宵曲」の三部とも、何れも書き出しの巧さからつい引き込まれてしまう。たとえば、「読書人柴田宵曲」の冒頭、「いつの頃からか、読書の日々の効用とは、情報でも知識でもなく、しばしの平穏を与えてくれるところにあると考えるようになった。就寝前のひととき、手近な一冊をひらいて読みはじめる。漫然

    岩本素白の随筆ふたたび - 黌門客
  • 根岸派の文人の流れ、岩本素白 - 栗カメの散歩漫歩

    散歩の途中、垣根から柿がたわわに実っている。うーん。美味しそうだ。 カキノキ科の落葉高木。また、その実。山地に自生するが、古くから栽培される。よく分枝し、葉は短楕円形で先がとがり、光沢がある。秋に紅葉する。初夏に白い雌花と雄花とが咲き、秋に黄赤色の実を結ぶ。実には萼(がく)が残ってつく。品種も多く、甘柿には富有・次郎・御所など、渋柿には平核無(ひらたねなし)・西条などがあり、実を生または干してべる。材は家具などに用いる。  『大辞泉』 蕪村に、「御所柿にたのまれがほのかゞし哉」がある。明和七年九月一日の句である。*1 山口昌男の『はみ出しの文法 敗者学をめぐって』*2を読んでいると、岩素白のことに触れている箇所でびっくりする。「散歩と釣りと雑読書名人への王道だ」と題して、池内紀さんとの対談。司会は坪内祐三。 池内 「読書名人」ということで、大好きな岩素白(いわもとそはく)の『素白

    根岸派の文人の流れ、岩本素白 - 栗カメの散歩漫歩
  • 岩本素白の文庫本、森銑三と柴田宵曲、資生堂の『銀座』のことなど。 - 旧・日用帳(2003-2015)

    三連休の前の、金曜日の夕方、神保町の東京堂で発売になったばかりの岩素白の文庫、『東海道品川宿』(ウェッジ文庫、2007年12月)を買った。 以来、嬉しくってたまらなくて、肌身離さず持ち歩き、寝るときは枕元においている。今日の朝、コーヒーを飲みながら、じっくりと読んだのは『壷』という文章。 この壷は火消し壷として台所の片隅に置かれても、或はまた手焙りとして花の壷として、座敷のすみ、床の間の上に置かれても、何時もしゃんとした静かな姿を保っている。到るところ自在にその実用と美しさとを示し、所を得ているのがこの壷である。それと同じように、私もまたどんな境地にあっても、この壷のように動かない静かな姿を示すことが出来るであろうか。それはなかなか難しいようにも思われる。然しまた、何とかそれに近いものであり得るようにも思われる。まことに生き難い世ではあるが、如何なる処、如何なる物の中にも美しさと味いと

    岩本素白の文庫本、森銑三と柴田宵曲、資生堂の『銀座』のことなど。 - 旧・日用帳(2003-2015)
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