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永原康史に関するfunaki_naotoのブックマーク (13)

  • S-AKI's blog: 『日本語のデザイン』永原 康史

  • デザインの風景 (株式会社ビー・エヌ・エヌ新社)

  • 葦手 - 記憶の彼方へ

    葦手(あしで)を見るたびに、千年も前にこんな「日語のデザイン」がなされていたことに驚く。 伝藤原公任(ふじわらのきんとう)『葦手古今集切』(11世紀中頃、→ 拡大写真) 「の」と「や」の部分を拡大したもの。 「葦手(絵)」について、伝藤原公任の『葦手歌切』を例に挙げながら、永原康史氏はこう書いている。 歌にかかわる文字の中には、絵になってしまったものもある。「葦手」である。「手」は女手などと同様、転じて書体の意味だと考えればよい。草仮名を葦の葉になぞらえたところからその名前がついたという。辞書には戯書きとも文字絵ともあり、「へのへのもへじ」などの文字遊びとの関連も指摘されているが、葦手の明確な説明はむずかしい。歌と文字と絵が一体になったもの、といえばいいだろうか。 葦手をとりいれた絵を「葦手絵」という。和歌や漢詩からとられた文字(葦手)は、水の流れや葦、岩、水鳥などその景の中にひそみ、絵

    葦手 - 記憶の彼方へ
  • 連綿体活字 - 記憶の彼方へ

    古活字版(嵯峨)光悦謡『冨士太鼓』(早稲田大学図書館蔵、→ 拡大写真*1) 「嵯峨」の連綿体活字はたしかにある意味で美しい。手書きでも、整版*2でもない。木で作った活字による印刷である。「嵯峨」は日における活字印刷による出版事業のはじまりとされる。そんなビジネスが始まった場所は京都の嵯峨、時代は慶長、元和年間(17世紀前半)。始めたのは角倉素案(すみのくらそあん)。海外貿易や土木事業で財をなした角倉了以(りょうい)の子。協力したのは書家の阿弥光悦と経師の紙師宗二の二人。今風に言えば、ビジネスマンとアーティストと職人の共同事業だった。 嵯峨 - Wikipedia グラフィックデザイナーの永原康史氏は「嵯峨」についてこう語っている。 美しい料紙装飾と造が目をひく嵯峨だが、もうひとつ大きな特徴がある。活字印刷されていることである。嵯峨に用いられた活字は木製の連綿体活字(連

    連綿体活字 - 記憶の彼方へ
  • 散らし - 記憶の彼方へ

    「寸松庵色紙 」(文化遺産オンライン) → 拡大写真 「継色紙 」(文化遺産オンライン) → 拡大写真 「升色紙」(文化遺産オンライン) → 拡大写真 日語のデザインのお手は、上に見られるような、文字組みに関わるひらがなの「連綿」とレイアウトに関わる「散らし」の統合による非常に高度な空間処理である。いつ見ても惚れ惚れする。「美しい」と感じる。 グラフィックデザイナー永原康史は「レイアウト」の深い意味に触れながら、日語デザインのルーツでもある「散らし」についてこう書いた。 レイアウトとは配置や割付のことと考えがちだが、単に紙面構成上の工夫ではない。なにも置かれていない空間にも意味をになう構造を与え、言葉と言葉の関係を位置関係に置きかえて構築する、いわば表記法の問題である。レイアウトによって書かれたテキストを読むことを、リニアに文章を読むことに対して、「二次元の読書」または「空間の読書

    散らし - 記憶の彼方へ
  • 日本語のデザイン/永原康史

  • 文字は語る「永原康史さんに聞く デジタルフォントがもたらす楽しみ」 - 雪景色

    取材・執筆を担当している月刊DTPWORLDの連載企画「文字は語る」、2008年7月号*1ではグラフィックデザイナー永原康史さんに「デジタルフォントがもたらしてくれる新たな文字の楽しみ」について語っていただきました。 * * * * 『日語のデザイン』というがあります。1990年から電子メディアのプロデュースや制作を手がけ、阿弥光悦マルチメディア展示プロジェクトや秀英体展示室といった展覧会、展示のアートディレクションにも携わってきた永原康史さんの著書です。 デザイン作業にコンピューターが使われ始めた90年代後半、だれでも簡単にタイポグラフィの業務に携われるようになったことによる文字組みの質の低下への危惧から、改めて日語組版のルールを作ろうという機運が生まれました。そういった時期に永原さんが取り組んでいたのは、偶然にもデジタルメディアで日美術を再考するようなプロジェクトばかりだった

    文字は語る「永原康史さんに聞く デジタルフォントがもたらす楽しみ」 - 雪景色
  • Walk in Osaka ピクセルへの案内書 永原康史 著 / デザイン・ウィズ・コンピュータ[改訂版]

  • Walk in Osaka 永原康史/タイポグラフィーとプログラミング(ウェブデザイング2006年7月号)

    大阪西区在住で散歩しながら写真を撮ったり、Mac、Web、絵音楽映画、生活などの感想を書いてます。 ウェブデザイングの連載エッセー「デザインにできること」の60回目だ。活版の組版からヒントを得てプログラミングしたという「アルゴリズミックタイポグラフィシステム」が説明されている。ぼくには理解できない部分が多いのだが、そのシステムによって組版されたという書籍『デザイン言語2.0』の表紙の写真に興味をそそられた。そこには、タイポグラフィーを追求しつづけてきた、永原氏ならではのデザインが見える。伝統的な組版が現在のプログラミングと融合して、今まで見たこともないタイポグラフィーが表出している。そこには、伝統的な活版の痕跡が確かに見えるので、クラクラっと目眩のような感覚に襲われた。かつて活版の現場に居た者として・・・。 しかし、ぼくが氏のエッセーで惹かれた部分は他にある。ちょっと長いが引用してし

  • Walk in Osaka [新デザインガイド]日本語のデザイン / 永原康史著の日本語文字の歴史

    大阪西区在住で散歩しながら写真を撮ったり、Mac、Web、絵音楽映画、生活などの感想を書いてます。 今月になって読んだ松岡正剛著『17歳のための世界と日の見方』の中で特に興味が惹かれたのは、もともとの日語である大和言葉には文字がなかったということだった。中学か高校の日史ですでに知っているはずのことだと思うが、ぼくが忘れているのか、民族が文字をもつことの関心を持たずに今まできたからに違いない。書は 「日語はもともと文字を持たない言語である。」(p20) と始まり、倭語が文字を獲得し、発展させる歴史が書かれている。松岡氏の著書でかき立てられた興味に書は十分に答えてくれた。グラフィックデザイナーを対象にした日文字の教養書であるが、一般の人でも文字の発展に興味のある人なら楽しめる内容となっている。歴史的な「書」の図版がふんだんに掲載されているので視覚的にも楽しめる。 「はじめに

  • 永原康史「日本語のデザイン」 (kumiko 日記)

    ちょっと見ただけでは簡素な表紙のである。中身を読んでみろと相方が言ったので、いま読むがいっぱいあるねんとモンクを言いながら受け取った。 ところが、開いてみるとおもしろい。〈はじめに〉の次に折り畳んである全部で10ページになる図版がすごい。[日語のかたち鳥瞰]というタイトルで、日語の表現が歴史を追って記されている。紀元前200年頃、大陸から漢字がやってきた。それからずっと漢字の時代が続く。倭語を漢字で書いていったわけだが、「古事記」の筆者太安万侶によって書くためのルールも決まる。そして万葉集も万葉がな(漢字で書かれた倭語)なのだ。その次に〈かな〉。美しい筆で書かれたかな文字、そして江戸時代の印刷物、戦争中の新聞記事、最後にパソコンの文字となって終わっている。 楽しくて何べんでも広げて眺めていた。〈かな〉を発明し発展させたのは女性たちだった。漢字を崩してかなになってしまった、その筆

  • The Beach : July a 2002

    20020715 新幹線で永原康史「日語のデザイン」美術出版社。すごく見通しのいいだった。古事記から明治以降の活字文化までを一気に読ませる。 そこで強調されているのは、古今和歌集以降の「和様」の系譜、つまり、ひらがなの「連綿」と「ちらし」の系譜だ。 「連綿」とは、単に文字を連ねることではなく、文字をカタマリ化し、分節化する手法であり、分かち書きの手法だ。分かち書きによって、抑揚やリズムが空間に乗せられた。 さらに、「ちらし」によって文字がレイアウトされ、空間的思考が準備された。 非言語コミュニケーションと文字を結びつけようとするこうした考え方は、ジェスチャーを研究するものにとっては魅力的だ。 古代の倭語が身振り手振りをまじえたプリミティヴな言語であったのに対し、漢語の導入は自然な身振りを奪ったとする著者の考え方は大胆な仮説だと思うが、一考に値する(ちなみに、この考えを検証するには、ピジ

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/12/09
    「日本語のデザイン」
  • グラフィックデザインとタイポグラフィ……永原康史

    FOCUS=グラフィックデザインの現在 永原康史 . グラフィックデザインとタイポグラフィ タイポグラフィの新しい定義 言葉を獲得するのは能であるという。べ物を嗅ぎ分けたり、異性を求めたりするように、人は言葉を使う。しかし、文字は記号であるから学習してはじめて使えるようになる。言語を持たない集団はないが、文字を持たない集団は結構ある。普通に字が書けて読めるという人は全人類の何%ぐらいになるのだろう? ひょっとすると過半数を割っているのではないか。 日語は、もともと文字を持っていなかった。ご存じの通り、日の文字は中国から輸入したものである。言語は日語であるが、筆記の様式は中国から学んだことが多い。その中で、世界的にみてもかなり珍しい配列順に読まないルールも生まれている。漢文の読み下し文である。「子曰、学而時習之」と書いて、「子(し)曰(いわ)く、学んで時に之(これ)を習う」と読む。

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