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洲之内徹に関するfunaki_naotoのブックマーク (18)

  • 洲之内徹ベスト・エッセイ1 洲之内 徹(本文) - 筑摩書房

    紹介 戦争体験を引きずり、癒されない飢餓を抱えながらも、美術エッセイ「気まぐれ美術館」で人気を博した洲之内徹。屈託のある名文を選んだアンソロジー 洲之内 徹 (スノウチ トオル)  (文) 洲之内 徹(すのうち・とおる):1913 - 1987年。愛媛県出身。美術エッセイスト、小説家、画商。1930年東京美術学校建築科在学中、マルクス主義に共感し左翼運動に参加する。大学3年時に特高に検挙され美術学校を退学。20歳で再検挙にあい、獄中転向して釈放。1938年、北支方面軍宣撫班要員として中国に渡り、特務機関を経て、中国共産党軍の情報収集に携わった。1946年、33歳で帰国してからの約20年間、小説を執筆。3度芥川賞候補となるが、いずれも受賞はかなわず。1960年より、田村泰次郎の現代画廊を引き継ぎ画廊主となった。1974年から連載を開始した美術エッセイ「気まぐれ美術館」は人気を博し、小林秀雄

  • 洲之内徹の眼 

  • 0672 - 松岡正剛の千夜千冊

    宮城県美術館に行くと、展観の都合にはよるけれど、だいたいの洲之内コレクションに会える。146点あるそうだ。 しかし、これは美術館に収まった作品群というものが負う「標的宿命」のようなものに出会ったような気分がしてしまって、あの洲之内徹が東京で一番みすぼらしい現代画廊で集めつづけた作品という実感からは、なんだか遠いものになっている。 現代画廊というのは田村泰次郎が投げ出した銀座の画廊のことである。電通通りの日航ホテルの向かい側の建物の3階にある小さな細長い画廊で、ぼくは父の死後、早稲田をやめてすぐに並木通りの中島商事ビルのMACに通っていたので、そこから5分もたたない現代画廊は何度も覗いていた。もっとも、画廊は田村がやっていたころは1階にあったらしい。 それから現代画廊は東銀座の松坂屋の裏手に移った。銀座というのは妙なもので、西銀座に慣れると東銀座が遠くなる。ただし、現代画廊は特別で、なぜこ

    0672 - 松岡正剛の千夜千冊
  • セザンヌの塗り残し つづき - 閑人亭日録

    洲之内徹『セザンヌの塗り残し』新潮社1994年7刷後半も読了。 《 ところで、それはそれとして、この絵の中に時間を感じたそのとき以来、私は、 風景、ないし風景画というものを、時間の範疇で見ようとするようになっている、 》 187頁 こんなくだりに出合うとぎょっとする。 《 芸術は実生活とははっきり切れたところに存在する、ということを、この一枚の 鉛筆画が、彼女に代ってきっぱりと言っているような気がする。この絵に私は慰められ、 励まされる。 》 210頁 《 絵かきばかりが絵かきじゃない、というのが私の平素の持論のようなものだが、 絵かきでない絵かきの有難さは絵を作ろうとしないこと、絵にしようとしないこと、 そういう絵かきの自意識の色眼鏡、商品でいえば中間マージンのようなものが一切なくて、 描こうとする心が対象に直(じか)に結びつくことだろう。 》 227頁 芹沢光治良記念館で先週まで展示さ

    セザンヌの塗り残し つづき - 閑人亭日録
  • セザンヌの塗り残し - 閑人亭日録

    洲之内徹が田村泰次郎から現代画廊を引き継いだとき、彼は四十七歳くらいだった、 というネット記事を読んで、おや、私とほぼ同じ歳に開いたか、とヘンな気分になった。いくつか ネットの記事を読んだが、俄に『セザンヌの塗り残し』を読みたくなった。 《 そんなふうに集めたのではなく、私の好きな絵で、私でも買える作品を、その時々に 集めてきたに過ぎない。 》 17頁 同じだ。でも、このようには書けないわ。彼は画商、私は愛好家。感心したくだりを。 《 だけでなく、仕事場に入った瞬間に、何も知りもしない私なんかがいきなりやって来て、 ちょっと話を聞いたくらいで、砥部焼がどうのこうのというような、利いた風なことは 言えないと思い知らされた気持であった。 》 26頁 《 私が高円寺へ来たのは昭和五年以来、実に五十年ぶりであることに気がついた。 》  32頁 高円寺か。大学卒業以来降りたことがない。てことは四十年

    セザンヌの塗り残し - 閑人亭日録
  • 森田英二油絵展、より - 田中大士の食うに困らぬ日々

    画廊から 洲之内徹 森田君については桜井浜江先生からとてもいい原稿を戴いたので、私にはもう何も言うことはない。森田君のことをこんなふうに言っていただいて、私は、わがことのようにうれしかった。 森田君とはもう十年近いつきあいになる。十年前のある晩私がビールを一杯飲んだあと、目黒駅の近くの喫茶店へ入って行くと、そこで森田君が個展をやっていた。とは言っても人はいないで、絵だけが、それも額縁もないキャンパスのままで、壁の釘にひっかけて、並べてあった。 その絵が実に面白かった。私はすこしアルコールが入ると絵がよく見えるという癖があるので、これはビールのせいかなと思って、何度も頭を振って見直したが、やっぱりいい絵だった。それで四十号と十号と、絵を二枚買った。それが、森田君とのつきあいの始まりである。 以後、十年間に、森田君の絵は、モチーフも画風も何度も変わったが、そのどの時期のものも、私には非常にい

    森田英二油絵展、より - 田中大士の食うに困らぬ日々
  • サービス終了のお知らせ

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  • 「芸術随想 おいてけぼり」つづき - k-bijutukanのブログ

    洲之内徹『芸術随想 おいてけぼり』世界文化社2004年2刷後半。 《 富士山の絵はいろいろ、たくさん見ているが、物はやっぱり格段に 凄いなと思った。 》 157頁 《 どこへ行っても、高圧線の鉄塔は、たいてい、まわりの風景には 遠慮会釈もなく立っている。 》 168頁 《 物事はこんなふうにうまくつながって、スムーズに運ぶ面があるかと 思うと、どうやってみても、にっちもさっちも行かないという面がある。 人生とはいったい何なのか。 》 170頁 《 しかし、よく考えてみると、果たして行けるかどうか。見ないで すんでしまう可能性が絶対に大きい。人生とはこんなものか。 》 188頁 以上、「アルプ」に1974年から1979年に掲載された短文から。 《 益子の町で陶器を売る店に入ってみたとたん、マスさん亡き後、 絵の描ける人のいないのが、いまの益子のいちばんの泣きどころだと いうことを、実にはっ

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  • 「芸術随想 おいてけぼり」- 閑人亭日録

    洲之内徹『芸術随想 おいてけぼり』世界文化社2004年2刷を読んだ。 《 それでも金輪際手放すまいと思う作品があり、そういうぜったい売りたくない 作品とぜったい売れそうもない作品とがおいおい手もとに残って、私のアパートの へやの大半を埋めている。 》 11-12頁 《 あるいは逆に、この微塵にひとしいわが生の、しょせんはとるにたらぬその 一瞬一瞬の哀歓を、しみじみかみしめてみたい気持ちにもなる。 》 22頁 《 と同時に、鑑賞画以外に絵というものを考えようとせず、そのせまいワクの中で 傑作だの、名作だのといってさわいでいるような今日の大方の風潮にたいする 無言の抗議でもある。一枚の絵のあり方の中には。それだけではない、もっと深い、 大切なものがあるはずなのだ。 》 27頁 《 見る人に自分の身辺に置いておきたい誘惑を感じさせるということは、 よい作品の必ずそなえている条件ではないだろうか。

    「芸術随想 おいてけぼり」- 閑人亭日録
  • 「気まぐれ美術館」の洲之内徹と若栗玄という画家 - mmpoloの日記

    「気まぐれ美術館」は長年「芸術新潮」に連載された人気エッセイだった。著者は洲之内徹で銀座のギャラリー「現代画廊」のオーナーだった。若いころ芥川賞候補にもなった人で文章がうまかった。「気まぐれ美術館」は絵を巡るエッセイで、絵についてはもちろん画家のことや果ては自分の女性関係のもつれまで書いていた。雑誌への連載は6冊もの単行になり、一部は文庫になっている。(「絵のなかの散歩」「気まぐれ美術館」「帰りたい風景ー気まぐれ美術館」「セザンヌの塗り残しー気まぐれ美術館」「人魚を見た人ー気まぐれ美術館」「さらば気まぐれ美術館」いずれも新潮社) この洲之内徹が出身地の愛媛新聞へ連載したエッセイに他の雑誌へ連載したものを集めて、最近と言っても3年ほど前に世界文化社から発行したのが「芸術随想 おいてけぼり」だ。一読ひどい編集だと思った。テキストと図版の関係が分かりづらい、編集方針がどこにも書かれていない、著

    「気まぐれ美術館」の洲之内徹と若栗玄という画家 - mmpoloの日記
  • 洲之内徹『しゃれのめす』を読む - mmpoloの日記

    洲之内徹『芸術随想 しゃれのめす』(世界文化社)を読む。同じく洲之内の『芸術随想 おいてけぼり』(世界文化社)の続編。『芸術新潮』に連載され好評だったエッセイをまとめた『気まぐれ美術館』シリーズに収録されていない、新聞や画廊のパンフレットに書いたものを集めたもの。『芸術随想 おいてけぼり』についてはこのブログでも紹介したことがあった。 ・「気まぐれ美術館」の洲之内徹と若栗玄という画家(2007年8月27日) 『気まぐれ美術館』シリーズ全6巻を読んだのはもう20年近く前になるだろうか。当時洲之内の審美眼を過小評価していたと、今回『芸術随想 しゃれのめす』を読んで反省した。私がよく分かっていなかったのだ。 書のカラー図版で見る佐藤哲三、吉岡憲、松田正平、田畑あきら子、高間筆子、小野木学、喜多村知等々がすばらしい。つまり、これは私がようやく中間の美が分かるようになってきた、ということではないか

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  • 洲之内徹と、エロティックな数学。|ムナカタイムズ

    ムナカタイムズ 宗方美樹のブログです。 ブログ画像一覧を見る « 書かない時間も大事・・・ 記事一覧 一週間まとめ » 洲之内徹と、エロティックな数学。 2012-10-15 テーマ:日常雑記 Itoshima Talk Session 内田 樹×中沢新一×森田真生 「数学を巡る、いくつもの話」 実に面白い。 全体的な感想はまた書くとして、軽くメモ。 ――グロタンディークがやったのは空間そのものを見ないで、空間の上でできるものやその構造を見る。空間の上でできるものの構造というのは、実は空間よりも自由なんですよ。対応する空間はないんだけど、その上のパターンの方を空間だと思うことにすると、空間概念の方が拡張されちゃうんですよね。(STUDIO VOICEより) 森田真生氏の「グロタンディークは空間を見るかわりに、その空間の上に作れる関数を考えようとした」という表現から、私の場合どうしよう

  • [書評]のメルマガ  vol.333|[書評]のメルマガバックナンバー

    配信済のメルマガのバックナンバーを見ることができます。また、記事に対するコメントもお待ちしております。 ■■----------------------------------------------------------------- ■■ [書評]のメルマガ           2007.10.17発行 ■ ■                     vol.333 ■■  mailmagazine of book reviews  [ 休載おおくてスマン 号] ■■----------------------------------------------------------------- [CONTENTS]------------------------------------------------------ ★近事雑報「南陀楼綾繁のホンのメド」 →をめぐる情報+アル

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  • 洲之内徹「桜について」 - 麦秋舎

    東京の桜は満開らしいが、神栖市の桜はまだ5分咲きといったところか。花見をする習慣がないので桜にまつわる思い出はないけれど、読んだの中に忘れられない桜の情景がある。 洲之内徹の「気まぐれ美術館」というエッセイ集の中に『桜について』の章があり、ここにわずか十数行だけど、桜についての思い出が語られている。うっかりすると読み飛ばしてしまいそうなぐらいなんでもない風に書かれている。でも、これが一読して忘れがたい情景なのである。 終戦の翌年の春のことである。洲之内徹はと子供二人をつれて、北支の山西省から引揚げてきた。山口県の仙崎へ上陸したのだが、ちょうどそのころ、あたり一帯は桜が満開だった。生後六か月の次男がはしかに罹ったので、一家は患者収容所に入る。収容所といっても、町なかにあるお寺・極楽寺の堂である。 そこの寺の門前にも一の満開の桜があって、花吹雪が風に乗って通りのほうまで飛んで行くのだっ

    洲之内徹「桜について」 - 麦秋舎
  • 洲之内徹略年譜

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    引越し遍歴パートⅡ 2018年に「上京して10年で引越しを6回した」というブログを書いた。 月日は流れ、あれから6年…さらに2回の引越しをした。ホテル暮らしも含めると3回かもしれない。 前回の記事では主に神奈川〜千葉〜東京の引越し事情を書いた。関東の浅瀬でちゃぷちゃぷ遊んでいたに過…

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    引越し遍歴パートⅡ 2018年に「上京して10年で引越しを6回した」というブログを書いた。 月日は流れ、あれから6年…さらに2回の引越しをした。ホテル暮らしも含めると3回かもしれない。 前回の記事では主に神奈川〜千葉〜東京の引越し事情を書いた。関東の浅瀬でちゃぷちゃぷ遊んでいたに過…

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  • 批評について−洲之内徹の場合− - 読書で日暮らし

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