1923年9月1日の関東大震災は、大手町にあった官庁街をも焼き尽くした。警察と地方行政を牛耳り、全国の俊英が雲のごとく集まるとうたわれた内務省さえ、自然災害には勝てず、庁舎を丸焼きにされた。 内務省の主な仕事のひとつに、「検閲」があった。その関係で、内務省の倉庫には明治以来の発禁図書や貴重な資料が保管されていたのだが、これも灰燼に帰してしまった。そのため、現在でも1923年以前の検閲の実態には不明な点が多い。 これにたいし、1923年以降の検閲に関する資料は比較的よく残っている。とくに内部向けの月刊マル秘資料「出版警察報」の刊行が開始された1928年、つまり昭和3年以後はなおのことそうである。 検閲と発禁はこうして行われた 戦前の検閲とはいかなる制度だったのか。ひとくちに検閲制度といっても変遷があり、論点も多岐にわたるので、ここでは昭和戦前期の出版検閲に焦点をあてたい。 内務省の長である内
![知られざる戦前「エロ本検閲」の実態〜検閲官はブラック労働だった (辻田 真佐憲) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d686f9eed3b811b9a0161657723d342332921d56/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fgendai-m.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F5%2F0%2F1200m%2Fimg_508e7569993bf59577908dd68eab9599485216.jpg)