破壊された東京で ~章一郎短歌の原点~ 柳 宣宏 昭和五年(一九三〇)三月、章一郎は早稲田大学付属第一高等学院を卒業し、四月には文学部文学科国文学専攻に進学した。中学の時代に胸の疾病で休学を余儀なくされた章一郎は、二二歳になっていた。折からの世界恐慌は日本にも波及し、「大学は出たけれど」というフレーズがたちまちのうちに人口に膾炙した。六年(一九三一)九月、満州事変が起きた。都市には失業者があふれ、農村では女子の身売りや欠食児童が当たり前のようになっていた。そんな状況にあって、政府は、満州の地下資源や広大な土地がもたらす権益を確保するのに躍起であった。七年(一九三二)一月、上海事変が起きる。三月、満州国建国宣言。五月、五・一五事件が起き、首相犬養毅が海軍将校によって暗殺された。一〇年(一九三五)三月、章一郎喀血。仕事を辞し、静養する。一一年(一九三六)二月、二・二六事件が起き