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ブックマーク / yamamomo.asablo.jp (245)

  • DVD版『内村鑑三全集』: やまもも書斎記

    2009-09-19 當山日出夫 ついに完成、DVD版『内村鑑三全集』(内村鑑三全集DVD版出版会)。 私の「国語学」の恩師である山田忠雄先生との関係で、このメンバーの中心的存在のひとり、斎藤みちさんと知り合い。その関係で、かかわりを持つことになった。このことの経緯を書くだけで、入りくんだ話しになる。 ともあれ、DVD版『内村鑑三全集』の完成を祝いたい。 未来を考えよう。これを使って何ができるのかを。そして、より多くの人につかってもらうには、どうすればいいのかを。 さしあたっての課題は、書籍として、ISBNがついていないこと。一般の書籍流通のシステムに載せることは難しいかもしれない。だが、売らなければ、ひろまらない。その工夫を、これから考えないと。 近代思想史研究、また、近代日語史研究の、貴重な資料である。 グーグルブックス、国家図書館のデジタルライブラリ、その流れのなかで、このDVD版

  • 『軍艦武藏』: やまもも書斎記

    2009-09-10 當山日出夫 この、ななめにざっと読む、ということができない。生き残ったひとの証言を、淡々と(まさに、淡々としか言いようがない)記述してある。それが、このの真骨頂だろう。 手塚正己.『軍艦武藏』(新潮文庫)上・下.新潮社.2009 http://www.shinchosha.co.jp/book/127771/ 私ぐらいの世代であれば、大和・武蔵、それに、信濃(三号艦、途中から空母に変更)のことは、知っている。子供のころのこと。また、『戦艦大和ノ最期』(吉田満)も、読んでいる。角川文庫版しかなかったところに、(今はなくなった)北洋社の、著者自身による再校訂版が出たのを持っている。 武蔵については、吉村昭の『戦艦武蔵』ぐらいしか読んでいない。ただ、このは、その軍艦としての建造と戦闘・沈没が中心。 言いたいことは多くあるが、二つだけ。 第一は、『野火』(大岡昇平)に描

  • 著作権のこと雑感: やまもも書斎記

    2009-09-05 當山日出夫 いま、著作権の問題、ある意味で議論の軸になりそうなのが、三田誠広。その一方で、電子図書館(長尾真)があり、グーグルブックスがある。というような構図を、とりあえず頭のなかで構築しておいて、あれこれと、WEBを見てみる。 ただ、次のような文章を読むと、これを書いた人(三田誠広)はバカであると断じるに、やぶさかではない。 「100年後も作品をで残すために」――三田誠広氏の著作権保護期間延長論 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0707/25/news057.html どこがどのようにバカであるかは、これから、(時間があれば)論じていきたい。しかし、このブログを読んでいるほどの人なら、わざわざ説明は不要かもしれないが。 WEBとデジタルの時代に、新しい出版ビジネス、コンテンツ流通のモデルを語ろう、この方がよっぽど生産的

  • 『ARG』390号の感想:図書館のコスト: やまもも書斎記

    2009-08-31 當山日出夫 『ARG』390 http://d.hatena.ne.jp/arg/20090831/1251699927 羅針盤「学術情報のバリアフリー化-同情するならカネをくれ」(三輪佳子) これを読んで思ったことを、率直に書くと、意図的に「ユニバーサルデザイン」ということばを使っていないな、ということ。私の理解の範囲では、「バリアフリー」ということばは障害があることを前提にする。「ユニバーサルデザイン」は障害の有無に関係ない。(誤解であるかもしれないが。) ともあれ、いずれの立場にたつにせよ、実現にはコストがかかる。 では、そのコストを誰がどのように負担するのか。 一般的に、アカデミズムの世界におけるコスト意識は、二極分化しているといえるかもしれない。 第一には、学術研究というのは金儲けのためにやっているのではない。学術研究の成果は、無償で社会に提供されるべきであ

  • 情報処理学会PDF化について: やまもも書斎記

    2009-08-13 當山日出夫 情報処理学会の研究報告などすべてペーパーレスになった。この件について、いろいろ考えることなど書き出すときりがないが、とりあえずひとつ。 抜き刷り(別刷り)が、無くなったこと。 紙の論文集のときには、自分の論文だけを特別に、抜き出して印刷して製した「抜き刷り」(私は、このようにならいおぼえているのだが、情報処理学会の用語では、「別刷り」)が、なくなってしまった。 このことは、人に、自分の論文を贈与できなくなったことを意味する。 通常、研究者どうしであれば、論文を書いて、その抜き刷りを知り合いに送る、ということは儀礼的であるかもしれないが、お互いのコミュニケーションとして必要。論集や紀要で見るよりも、抜き刷りをもらってその論文を知る、ということが多いだろう。 これができなくなる。いや、無理をすれば、自分でPDFをプリントアウトしてそれを綴じて、ということにな

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/08/16
    「問題はPDFのフォーマットである。とてもではないが、プリントアウトして、ホッチキスで綴じて、ほかのひとにあげる、ということのできるものではない」
  • 学会誌の投稿規定と電子化権: やまもも書斎記

    2009-07-16 當山日出夫 もう、いまどき、フロッピーディスクを日常的に利用する人は、いないだろう。でも、なぜか、JADS(アート・ドキュメンテーション学会)の学会誌の投稿規定には、そう書いてある。どうやら、かなり古く書いたものをそのまま残して使っているらしい。 このあたりも、現在の実情にあった規定に書き改めないといけない。いまなら、CD-R(または、DVD、これもいろいろ種類がある)、でなければ、電子メールで、ということになるか。 USBメモリの郵送は、可能ではあるが、まあ、常識的には、すこし危ない。 現実的には・・・電子媒体で提出のこと、詳しくは、担当の役員に連絡、ということで、臨機応変に対応するのが現実的であろうとは、個人的に思う。 それから、現在では、きちんと書いておかなければならないのが、「査読」についての規定と、「電子化権」の問題。 JADS(アート・ドキュメンテーション

  • 教室というアーキテクチャ: やまもも書斎記

    2009/07/08 當山日出夫 いったい何時から日の学校は、小学校から大学まで、一人の先生が前にいて、ずらっと生徒・学生の机があって、というかたちになったのか(これは、調べればわかるだろう。) 問題は、このような形態の教室における机の配置、教師と生徒の位置関係が、アーキテクチャとして機能すること。来は、授業・講義をするための配置であったはずである。それが、いつのまにか逆転して、このような机と椅子の配置であるから、このような授業形態になる、というようになってしまう。意識せざるうちに、これはおこる。 学校のコンピュータ教室でも、しかり。なぜ、普通の教室の机の上にコンピュータが載っているだけのデザインのコンピュータ教室になるのか。 学生同士が、(そこに教師も加わって)相互に対話しながら、ものを学んでいくという方向が、ここからは、自然と失われていく。そのことに気づかない。 このことにあえて自

  • ネットへのアクセス制限: やまもも書斎記

    2009/06/20 當山日出夫 今年度から、JADS(アート・ドキュメンテーション学会)の役員。でもって、担当が、どういうわけだか、WEB担当。 まずは、学会のホームページの管理。(こういっちゃあ、みもふたもないが、ひとの書いたCSSHTMLを解読して、というよりも、自分で作った方がてっとりばやい。しかし、学会ホームページだから、そうもいかない。こまった、のである。) ただ、ひとつ勉強になったのは、かなりの会社・企業などで、インターネットへのアクセス制限をかけていることが、わかった。JADSの場合、大学などにつとめている、いわゆる研究者よりも、現場の美術館・博物館、図書館、それから、関連の企業などのひとが多い。 そうなると、自分の家からネットにつないでというほど、自由にはいかない。この意味では、大学からのインターネット接続が自由であるか、逆に分かる。会社からはブログも見られません、との

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/06/21
    「ネットの世界は、意外とアクセスに不自由である」
  • 文字のコーヒーハウス: やまもも書斎記

    2009/06/18 當山日出夫 実を言えば「文字研究会」の方は、ほとんど何も考えていない状態である(^^;) 雑感を述べれば、「文字」を研究する、研究会というものが、(私の知る限り)無かったということがある。文字研究は、これまでは、基的に言語研究の一部であった。であるならば、まあ、やってみよう、というのが正直なところである。 さしあたっては、可能な限り融通無碍な会にしたい(←ここで「碍」の用例があります。) きっちり「会則」で決めた研究会や学会にはしたくない。私には無理であるし、また、何よりも、自由を尊重したい。文字についてのことなら、何でもあり。何でもいいから集まって話しをしようではないか、文字についての多事争論、あるいは、文字のコーヒーハウス、このようなイメージ。 インターネット上のいろんなツール、ホームページに限らず、ブログ、グループウエア、SNS、メーリングリスト、メールマガジ

  • 心的障碍:「ことば」が社会をかえる: やまもも書斎記

    2009/06/11 當山日出夫 「ことば」が社会をかえる、と言って、かつての「八紘一宇」など連想しようというわけではない。ある「ことば」が定着するということは、その概念が社会で共有されるということ。 以前、国立国語研究所の仕事である、難しいカタカナ用語をわかりやすく、ということがあった。今は、確か、病院のことばに取り組んでいるはず。ただ、独立行政法人からの移管の問題で、どうなるか、わからないが。 このとき、二つの考え方がある。 ・「ことば」は、所詮、かりのものである。実質的にどうであるかが重要。単なる言葉の言い換えで終わることは無意味である。 一方で、 ・「ことば」が定着することによって、その「ことば」のあらわす概念が社会に共有される。たとえば、「バリアフリー」など。カタカナ語はいやだ、という発想もあり得る。しかし、「バリアフリー」という「ことば」で、そのことの意味に、多くのひとが気づく

  • 『国文学』休刊と人文情報学: やまもも書斎記

    2009/05/29 當山日出夫 確認のため、以前に書いたことを、ふたたび引用する。 やまもも書斎記 2008年12月27日 『源氏物語千年紀とはなんだったのか』 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2008/12/27/4029102 ここで以下のように書いた。 >>>>> ところで、人文情報学との関連でいうと、次のことに触れておきたい。日で人文学研究者がパソコンを使い始めたとき、まっさきにデータ入力の対象となったのは、『源氏物語』である。私が知る限りでも、これまでに、数種類のデジタル化『源氏物語』がある。 私だったら、「源氏物語はどう電子化されてきたか」というようなシンポジウムでも企画するところである。しかし、その力量も無いので、傍観するだけであったのだが。 デジタル・ヒューマニティーズ(人文情報学)の歴史を考えるとき、日における『源氏物語』の電子化の歴史

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/06/01
    「「うたを文字に書くとは」という問題意識」
  • 『国文学』休刊:雑誌というメディア: やまもも書斎記

    2009/05/30 當山日出夫 もう忘れかけていることであるかもしれない。今回の『国文学』休刊の、はるか以前に、『文学』(岩波書店)が、月刊から、季刊になった。そして、その編集の方針も、かなり変わった。 雑誌がなりたつための条件は厳しい。 ・月刊であれば、毎月、同じ日に発売しなければならない。 ・ページ数は、ほぼ一定でなければならない。せいぜいプラスマイナス16~32ページが、許容の範囲。 ・内容的にも、毎号、同じレベルをたもつ必要がある。 ・『国文学』であれば、「特集」と同時に「連載」もある。 ・価格も、一定でなければならない。 というようにみれば、月刊の雑誌は、非常にハイコスト(人的労力)がかかっている。 それにくわえて、 ・「特集」を組むときのテーマ設定のセンス(編集の人材) ・その原稿を書ける研究者の存在(研究者の人材) ・それを読みたいと思う読者数 など、「国文学」という研究分

  • 出版社の良心かそれとも本が売れないのか: やまもも書斎記

    2009/05/28 當山日出夫 今日、午前中は、京都。で、かえってみると、ある出版社から電話があったよし。東京にある出版社。私の来の(?)専門である、東洋古典学専門の学術書の出版社。 電話をかけてもよかったが、会社のHPのから連絡した。その返信メールによると、私が、全巻予約で買っているある(日古典文学関係の専門書)にミスがあったので、回収したいとのこと。巻数の表記をまちがえたらしい。装丁から奥付にいたるまで。 個人で持っているぶんにはどうということはない。だが、将来、このが古書として、神保町などで売られるとき。あるいは、図書館や大学研究室にはいるとき。こまってしまう。図書館で、目録が正確に作れない。 今回の件は、やむをえない、と思う。 だが、ふりかえって考えてみると、なんで、私のところに電話がかかってきたのだろう。小規模な出版社だから、そう人手があるわけではない。いいかえれば、そ

  • SBMは信用できるか: やまもも書斎記

    2009/05/26 當山日出夫 「ARG」376での、郡山女子大学の件とも関連するが、SBMについて思うことをすこし。 このブログ(やまもも書斎記)とは別に、「はてな」の方に「明窓浄机」の名称で、こちらは、文字のことを書くことを専門にしてブログをつくってある。そのこともあって、文字関係のブログはかなり見る。 そうすると、おおむね極端にわかれる。あるいは、そのような傾向にむかいつつあるように感じる。 A 当に論点のわかっている専門家が、コメントやトラックバックをつける。あるいは、SBMをつける。比較的少数。しかし、内容は、非常に深いものになる。 B ともかく興味があれば、SBMをつける。この場合、膨大な数になる。 最近の事例でいえば、「新常用漢字表(仮称)」で「しょうがいしゃ」をどう表記するかの問題。「障害」「障碍」「障がい」。この問題についての中心は、おがたさんの「もじのなまえ」 ht

  • 『ARG』376号の感想など: やまもも書斎記

    2009/05/26 當山日出夫 「ARG」367号の感想などすこし。今日は、「休校」。先ほど、映像学部に、休校措置への対応のメールを送ったばかり。幸か不幸か、担当のデジタルアーカイブ論は、木曜日。ぎりぎり、休校の日からはずれているので、影響をうけない。最終日、なんとか「まとめ」の話しをして終わり、の予定。 まず、郡山女子大学のパスファインダーの件。なぜか(?)私のブログが参照されているので、ひとことだけ。 http://library.koriyama-kgc.ac.jp/ http://library.koriyama-kgc.ac.jp/path/ A ユーザが図書館にともめるものはなにか。 1.めざす・論文があるかどうか 2.それが読めるかどうか 3.複写や貸し出しか可能かどうか これが、(私の立場からすれば)基。 B それと、もう一つの方向は、「このようなことを調べたいのです

  • 電子化権: やまもも書斎記

    2009/05/17 當山日出夫 かたつむりは電子図書館の夢をみるか 2009年5月14日 国会図書館が蔵書90万冊以上をデジタル化?! http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20090514/1242319773 国会図書館プロジェクトへの意見とは別に(だが、深く関係するのが)「電子化権」である。 パブリックドメインになっている文化遺産のフェアユースの問題。所蔵者の権利がどこまでおよぶか。また、現在の状況であれば、その電子化権の問題。 このことは、今後のDH(デジタル・ヒューマニティーズ)にとって、最も重要なポイントであるはず。何よりも、資料のデジタル化があってなりたつ研究分野、というか、研究の方法論なのであるから。もちろん、「デジタルアーカイブ」にも関係する。 この問題に、私が知る範囲でもっとも積極的にとりくんできたのが、慶應のDMC。(これも、もう、活動は終

  • 『CUDカラーユニバーサルデザイン』: やまもも書斎記

    2009/05/09 當山日出夫 『カラーユニバーサルデザイン』.NPO法人カラーユニバーサルデザイン機構(CUDO).ハート出版.2009 CUDO http://www.cudo.jp/ やっと、きちんとしたが出たな、という印象をもつ。 日人男性の約2~5%は、「色覚異常」の症状をもつ。伴性劣性遺伝(つまり、遺伝子に起因するため)治療法はなく、かつ、人口の一定の割合で存在する。 いわゆる「色盲」である。といって、「色」が見えないのではない。一般的な色覚の人とくらべて、違いを認識できる色の違いが異なるということである。 私ぐらいの世代であれば、学校の健康診断のとき、必ず、「石原表」(仮性同色検査表)を見せられたものである。したがって、「色盲」の人がいる、という事実認識はもっている。しかし、それが、どのようなものであるのか、どのような色の世界を見ているのか、それによってどのような社会的

  • JSASアーカイブズ学会について思うこと(1): やまもも書斎記

    2009/04/27 當山日出夫 2009年4月25日(土)~26日(日)にかけて、2009年度の、日アーカイブズ学会(於、学習院大学)に出席してきた。ついでに(?)、研究発表もしてきた。 JSAS 日アーカイブズ学会 http://www.jsas.info/ これから、JSAS(日アーカイブズ学会)で思ったことを、書いていこうと思っている。おそらく、この問題は、デジタル・キューレーション、デジタル・ドキュメンテーションをふくめて、広範囲に、デジタル・ヒューマニティーズにかかわる課題をふくんでいると、思うからである。 結論から、まず述べよう。以下、あえて苦言を呈する。 JSAS(日アーカイブズ学会)は、「アーカイブズ学」によって、自縄自縛の状態にある。そして、「アーカイブズ学」は、基的に、20世紀までの学問であり、輸入学問である。21世紀の、デジタルの時代に向けて対応しなければ

  • 記録を残せ:新常用漢字とアーカイブズ: やまもも書斎記

    2009/04/17 當山日出夫 新常用漢字のパブリックコメントで、私は、情報の開示をもとめた。それは、いいかえれば、調査データと、審議の議事録を残すことである。 その理由は、「新常用漢字表(仮称)」という公的な漢字集合を決めるにあたって、どのような経緯があったか、残さなければならない、その義務が日国政府には、また、それを要求する権利が、われわれ(国民)にはある、からである。 映像学部でのデジタルアーカイブ論で、『アーカイブ事典』からの、引用として、フランスのミッテラン大統領のことばを、学生に紹介している。1988年の国際文書館評議会世界大会。 >>>>> すべての国のアーカイブズは過去の行為の軌跡を保存するものであり、同時に現在の問題をも照らし出してくれるものである。過去はそのままにしておくと消え去ってしまうから、記録を残すよう努力をはらわなければならない。記録を処分するかどうか、つま

  • 「飛翔体」考: やまもも書斎記

    2009/04/05 當山日出夫 だいたい、ことの経緯は、「明窓浄机」の方に書いておいた。また、おがたさんの「もじのなまえ」でも言及がある。 明窓浄机 http://d.hatena.ne.jp/YAMAMOMO/20090405 もじのなまえ http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090405/p1 いったい、日国政府は何をかんがえていたのか?! ミサイルとも、人工衛星とも、確認できない段階で、断定的な表現は避けた。この政治的配慮については、わからなくもない。しかし、そうであるならば、北朝鮮が、「ミサイル/人工衛星/テポドン」の発射を予告した時点において、その時に、どう日国政府として発表するか、用語をかんがえておくべきである。 そして、もし、考えた結果が「飛翔体」であったとするならば、誰が、「新常用漢字表(仮称)」試案、にまともに取り組もうとするだろうか。他に