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ブックマーク / yamamomo.asablo.jp (245)

  • 『編集者の読書論』駒井稔/光文社新書: やまもも書斎記

    駒井稔.『編集者の読書論-面白いの見つけ方、教えます-』(光文社新書).光文社.2023 https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334046637 面白いである。現代におけるすぐれた読書論、読書案内になっている。 著者、駒井稔は、元、光文社古典新訳文庫の編集長。その経験、それから、それ以前からの編集者としての経験が土台になっている。 まず興味を引くのは、編集者という仕事についてである。私の感じるところでは、一般には、編集者というと、出版社の社員というような感覚で思われているかもしれない。だが、このを読むと、書籍編集者、特に文芸書の編集者は、著者と対等にを作っていく重要な役割であることが分かる。日はともかく、欧米ではそうであると言っていいのだろう。編集者の仕事や出版ビジネスについて、欧米各国の事例、体験について語ってあるところは貴

  • 『完本 チャンバラ時代劇講座 1』橋本治/河出文庫: やまもも書斎記

    治.『完 チャンバラ時代劇講座 1』(河出文庫).河出書房新社.2023(徳間書店.1986) https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309419404/ 橋治という人については、若くからその名前は知っていて、折に触れて書いたものを読むことはあったが、そう熱心な読者ということでなくきしてしまった、ということになる。 その橋治も亡くなってしばらくたつ。その死をうけて、復刊になった書物がいくつかあるが、これもそのうちの一つということになる。(はっきり言って、このの存在は知らなかった。) もとのは、一九八六年に徳間書房。それを、二分冊にして、河出文庫で出したもの。第一冊目を読んだところで、思うことを言うならば、これは名著である。おそらく、日の近代の大衆文化、通俗文化というものについては、傑出した評論であると言っていい。 一冊目には、 第一講 チ

  • 『一言芳談』小西甚一(校注)/ちくま学芸文庫: やまもも書斎記

    小西甚一(校注).『一言芳談』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.1998 https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480084125/ ちくま学芸文庫で、今年(二〇二二)に創刊30周年記念ということで復刊になったものの一冊である。このさらにもとになったは、一九七〇年の「日の思想」である。 ちくま学芸文庫の復刊ということで買って読んでみることにした。読んで思うこととしては、次の二点ぐらいがある。 第一には、中世を感じるということ。 このはどこから読んでもいいようなものかと思って、適当にページを繰って読んでみたのだが、そこに感じるのは、まさに中世の、浄土念仏思想の端的な表出である。このような書物が書かれた時代こそ、中世(鎌倉時代)と言っていいのだろうと思う。 緻密な論理体系を構築するというものではなく、小さなエピソードの集まりである。その一つ一つ

  • 『はじめての王朝文化辞典』川村裕子(著)・早川圭子(絵)/角川ソフィア文庫: やまもも書斎記

    川村裕子(著).早川圭子(絵).『はじめての王朝文化辞典』(角川ソフィア文庫).KADOKAWA2022 https://www.kadokawa.co.jp/product/321611000839/ だいたいは知っていることなのだが、新しく出たということで読んでみた。時期的には、タイムリーな出版になるのかとも思う。次の次のNHKの大河ドラマが、『光る君へ』ということで、紫式部が主人公になるらしい。平安王朝文化、文学について、いろいろ興味のあるところである。 だが、この自身は、特にそれを意識して作ったということではないようだ。巻末の参考文献リストを見ると、二〇二一年八月で切ってある。この時期に基の執筆を終えているということになる。(そのせいなので、例えば岩波文庫の『源氏物語』が完結したものとして上がっていない。これは、今では、全巻完結している。) だいたい知っていることが、辞典風

  • 『歴史とは何か 新版』E.H.カー/近藤和彦(訳): やまもも書斎記

    E.H.カー.近藤和彦(訳).『歴史とは何か 新版』.岩波書店.2022 https://www.iwanami.co.jp/book/b605144.html 「新版」といよりも「新訳」というべきかもしれない。すでに、清水幾太郎の訳で岩波新書出ているものである。この旧版については、最初に読んだのは高校生のころだったろうか、あるいは、もう大学生になっていたかもしれない。とにかく読んだのを憶えている。この清水幾太郎訳は、近年になって、岩波新書のロングセラーをいくつか改版して新しくしたなかで、これも新しい版に改版されてきれいになっているのが出た。これも、久しぶりに買って読んだ。 この新訳であるが……とどのつまり「歴史とは何か」という問いかけについては、旧版で読むのと、そう変わるわけではない。旧版の岩波新書の訳も、かなり読みやすい文章であると思う。(今、手元にないので、比較して読むということはな

  • 『現代文解釈の基礎 新訂版』遠藤嘉基・渡辺実: やまもも書斎記

    遠藤嘉基・渡辺実.『着眼と考え方 現代文解釈の基礎 新訂版』(ちくま学芸文庫).ちくま書房.2021(1963.1991.中央図書出版) https://www.chikumashobo.co.jp/special/genbun-basic/ 話題のの一つということで読んでみた。読んで思うこととしては、次の二点ぐらいを書いておく。 第一には、国語学と国語教育。 このを実質的に書いたのは、渡辺実だろうが、日を代表する文法学者の一人である。その著書である、『平安朝文章史』『国語構文論』などは、出たときに買って読んだ。その後、『平安朝文章史』は、文庫にもなったので、それも読んだ。 今、国語学とはいわなくなってしまっている。日語学という。それで実質的にどう変わったということもないようなものだが、ただいえることとしては、日語学になってから国語教育とのかかわりが薄くなってしまったことはたし

  • 『渋江抽斎』森鷗外: やまもも書斎記

    森鷗外.『渋江抽斎』(岩波文庫).岩波書店.1940(1999.改版) https://www.iwanami.co.jp/book/b249228.html 『渋江抽斎』を読むのは、何度目になるだろうか。新潮文庫版の森鷗外を読んだ続きで、これも再読してみることにした。 この、書誌を書いてみて、一九四〇年、昭和一五年から、岩波文庫で刊行され続けてきていることを、改めて認識した。たしかに、他の史伝類にくらべると、『渋江抽斎』は読みやすい。そして、面白い。 『渋江抽斎』の面白さは、どこにあるのだろうか。二点ほど書いてみる。 第一には、ファミリーヒストリーとしての面白さである。 森鷗外は、武鑑の収集から目にした、渋江抽斎という人物の周囲を探索していく。その家族、親戚、知人のあとを追っていく。まさに、ドキュメンタリーであり、NHKの番組でいうならば、「ファミリーヒストリー」である。その探索の緻密

  • 『和歌史』渡辺泰明: やまもも書斎記

    渡辺泰明.『和歌史-なぜ千年を超えて続いたか-』(角川選書).KADOKAWA.2020 https://www.kadokawa.co.jp/product/321803000328/ 大学は、文学部の国文科というところで学んだのだが、どうも短詩型文学……和歌とか俳句とか……が苦手である。ひととおり、勉強したつもりではいるが、この方面からとおいところを専門にすることになってしまった。 だが、日文学を論じるときに、和歌というのが重要な位置をしめる、ということはきちんと認識しているつもりでいる。その和歌について、古く万葉集から、近世の和歌にいたるまでを、概観した内容になっている。 基的に作者別になっている。 額田王 柿人麻呂 山上憶良 大伴家持 在原業平 紀貫之 曾禰好忠 源氏物語の和歌 和泉式部 源俊頼 西行 藤原俊成・定家 京極為兼と前期京極派 頓阿 正徹 三条西実隆 細川幽斎 後

  • 『万葉ポピュリズムを斬る』品田悦一: やまもも書斎記

    品田悦一.『万葉ポピュリズムを斬る』.短歌研究社.講談社.2020 https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000344941 新学期の最初のとき、今年はオンラインでの教材提示ということだったのでかなわなかったが、昨年は、「令和」の出典は何であるか、聞いてみた。昨年、まさに改元のときであった。結果は、「万葉集」とこたえてくれたのが、半分ぐらいだったろうか。その他は、「枕草子」とか雑多である。なかには、わざわざ「考案者は菅官房長官」と答えてくる学生がいた。これには、どう対応していいか困る…… たぶん、そうだろうと思っていたが、『文選』と書いたものはなかった。昨年の「令和」の年号が発表になったとき、SNS上では、さかんにその出典が『文選』に依拠するものであることが、語られていたと思うのだが、学生は、はたしてそこまで目がおよんでいたのだろうか。

  • 東洋学へのコンピュータ利用(第32回)に行ってきた: やまもも書斎記

    3月6日、第32回の東洋学へのコンピュータ利用があったので、行ってきた。 http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/2020.html さて、この研究会、昨今の世情をかんがみて、はたして無事に開催されるかどうか心配だったのだが、中止にするということもなかったので、行ってきた。 発表は、午後からだったので昼前に家を出た。いつものように、近鉄から京阪に乗り換えて出町柳まで。電車は気のせいか乗客は少なかったような気がする。 昼過ぎに会場について、マスクをもらう。参加者は、発表者をふくめて、マスク着用ということだった。また、例年にくらべて、参加者の人数も少なかったように思う。発表は五件であったが、そのうち二件は、インターネットを使っての遠隔発表。北海道と広島からだった。これも異例のことだと思うが、しかし、このごろの世の中の情勢を考えると、こ

  • 新潮日本古典集成『源氏物語』(八): やまもも書斎記

    石田穣二・清水好子(校注).『源氏物語』(八)新潮日古典集成(新装版).新潮社.2014 https://www.shinchosha.co.jp/book/620825/ 続きである。 やまもも書斎記 2020年1月6日 新潮日古典集成『源氏物語』(七) http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/01/06/9198739 このを前回読んだときのことは、 やまもも書斎記 2019年3月2日 『源氏物語』(八)新潮日古典集成 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/03/02/9042336 ※以下の文章は、昨年(2019)のうち、夏の間に、書いておいたものである。 最後の八冊目には「浮舟」から「夢浮橋」をおさめる。 今年になって二回目の『源氏物語』通読である。読み始めたきっかけは、『源氏物語』と「文字」ということを考え

  • NHK「イスラムに愛された日本人 知の巨人・井筒俊彦」: やまもも書斎記

    2019-11-11 當山日出夫(とうやまひでお) NHKドキュメンタリー BS1スペシャル「イスラムに愛された日人 知の巨人・井筒俊彦」 https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/1878344/?fbclid=IwAR3BBNIZ__Z2MStBk93bVv3ceUqHyv0TcNd_G2SvtRRruiP5jkaVD8NI3lI 私が慶應の文学部に入学したとき、すでに井筒俊彦は慶應を去った後だった。その謦咳に接することができたのは、イランの革命を経て日に帰ってから、岩波ホールでの講演会の時のことになる。私が学生のときである。こんなにも魅力的な知性をもった人がいるのか、そのときの感慨はいまだに覚えている。 井筒俊彦はすでにいなかったが、しかし、池田彌三郎先生はいらっしゃった。学部の一年のとき、日吉の教養のとき、『百人一首』を読む講義があ

  • 表記研究会(第44回、関西大学)に行ってきた: やまもも書斎記

    2019-09-27 當山日出夫(とうやまひでお) 2019年9月21日、関西大学で、第44回の表記研究会があったので行ってきた。 今回は、発表は午後からであった。朝の一〇時ごろ、長男が仕事に出るついでに駅まで送ってもらう。我が家からだと、関西大学までは、近鉄~地下鉄の乗り換えで行ける。生駒まで行って、快速急行に乗り換えて、日橋まで。そこで地下鉄に乗り換える。 早い目について、大学の近所で昼。このあたりのお店は、来るたびに変わっているように思う。この前来たのはいつだったろうかと思うのだが、今回来てみて気付くのは、タピオカのお店が増えていたこと。はて、この前来たときには、あったろうかと思う。 いつもは、国語語彙史研究会と連続であるのだが、今回は、独立して開催。国語語彙史研究会は、次の週である。そのせいもあってか、ちょっと人のあつまりが多くなかった。 発表は、二件。 最初の発表は、主に近代

  • 『決定版 夏目漱石』江藤淳: やまもも書斎記

    江藤淳.『決定版 夏目漱石』(新潮文庫).新潮社.1979(2006.改版) (1974.新潮社) https://www.shinchosha.co.jp/book/110802/ 私が、江藤淳の『夏目漱石』を読んだのはいつのころのことだったろうか。確か、高校生のころだったかと記憶する。『夏目漱石』を読み、それから、確か講談社だったろうか、著作集のいくつかを買って読んだのを憶えている。飼っている犬の話し、それから、アメリカ滞在のことなど、興味深く読んだことを思い出す。 「則天去私」ということばは、あるいは、江藤淳の『夏目漱石』を通して憶えたのかもしれない。ともあれ、江藤淳より以前、漱石を語るときの定番として「則天去私」があり、それを、若き江藤淳が粉砕した、という経緯は、はっきりと意識して読んだかと思う。 漱石の主な作品は、高校生のときに読んでいたのだが、それと平行して、江藤淳の著作につい

  • 『日本人はなぜ存在するか』與那覇潤: やまもも書斎記

    與那覇潤.『日人はなぜ存在するか』(集英社文庫).集英社.2018 (集英社インターナショナル.2013 文庫化にあたり加筆) http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-745739-1&mode=1 以前、集英社インターナショナルから出ていたものに加筆して、文庫化したもの。 「日人」とはどのように何なのか、どのように定義できるものなのか、という問題意識から、様々な角度から論じてある。もとは、大学での一般教養向けの講義をベースにしているらしい。 このを読んで感じることなど書くとすると、次の二点ぐらいになるだろうか。 第一は、「日人」とは再帰的にしか定義できないものである。つまり、そのような定義、見方で「日人」をみているからこそ、そこにそのような姿で「日人」が立ち現れてくるのであ

  • 日本語学会(2019春、甲南大学)に行ってきた: やまもも書斎記

    続きである。 やまもも書斎記 20019年5月23日 日近代語研究会(2019春、関西大学)に行ってきた http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/05/20/9074746 2019年5月18日、19日と、日語学会が甲南大学であったので行ってきた。 甲南大学は阪急で岡で降りることになる。我が家からだと、近鉄で難波まで出て地下鉄で梅田まで、そこで阪急に乗り換える、ということになる。朝の10時ごろに家を出た。 ちょっと早めについた。阪急岡のあたりは、閑静な住宅街である。大学の建物を探すのに、ちょっと迷ったりもしたが、ともかく行き着いた。 聞きたい発表が、C会場であったので、この日はずっと同じ会場の教室にいた。前半の発表は、主に方言、アクセントについてのもの。この分野については、とんと門外漢である。だが、自分の知らない分野のことについては、や論文を読んだ

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2019/05/23
    「いわゆる八母音説に対して、いろいろと反論などあるが、それらの研究についても、子細に検討すると、いったい何を根拠にして、母音の数を論じているのか、はっきりしない」
  • 日本近代語研究会(2019春、関西大学)に行ってきた: やまもも書斎記

    2019-05-20 當山日出夫(とうやまひでお) 2019年5月17日(金)に、日近代語研究会が関西大学であったので行ってきた。この研究会は、近年では、日語学会の開催にあわせて、前日の金曜日に開催ということになっている。 朝の10時ごろに家をでて、近鉄から地下鉄にのりかえて行く。駅でおりて、簡単に昼。会場は、この前の国語語彙史研究会の時と同じところ。まようことなく行くことができた。 発表はいろいろと面白かった。 質疑のときに、いくつか発言してみた。 一つには、もう「今昔文字鏡」はつかわない方がいいということ。JIS規格を越える漢字については、Unicodeで対応する方がいい。その時、実装されているフォントのバージョンと、どの範囲のUnicodeの漢字を収録しているのか、確認しておく必要がある。 第二には、HNGを見ていなかったということについて。漢字の規範の歴史を考えるとき、HNG

  • 『言葉の海へ』高田宏: やまもも書斎記

    高田宏.『言葉の海へ』(新潮文庫).新潮社.2018 (新潮社.1978) http://www.shinchosha.co.jp/book/133301/ このは再読になる。最初出た時に買って読んだのを覚えている。学生のときだった。 はっきり言って、学生の時……国文学、国語学ということを勉強する……このを読んであまり関心しなかったのが印象として残っている。『言海』という辞書の成立論をあつかったものとして読むと、今ひとつ物足りなく感じてしまったのであろう。 だが、それから四〇年ほどたって、文庫版で再読してみて……なるほど、若い時にこのの良さが分からなかったのも無理はない、と反省するところがある。このは『言海』という辞書の成立論……学問的分野でいえば、国語学史ということになる……のではない。そうではなく、幕末から明治にかけて、近代を生きた大槻文彦という人物の、その生涯をつらぬいてい

  • 『今昔物語集』(五)新日本古典文学大系: やまもも書斎記

    続きである、 やまもも書斎記 2019年3月22日 『今昔物語集』(四)新日古典文学大系 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/03/22/9050091 『今昔物語集』を、新日古典文学大系版で、第一巻から順番に読んできて、ようやく第五巻を読み終わった。『今昔物語集』の全巻を読むのは、久しぶりである。若いときには、昔の日古典文学大系で読んだ。それから、折に触れて手にすることはあったとはいうものの、今回は、天竺のところから、ひたすら順番に読んでみた。 読み終えて感じるところは次の二点であろうか。 第一に、巻二十七である。怪異譚をおさめる。 昔、若いとき、『今昔物語集』を読むとき、この巻二十七は、読むのが怖かったのを憶えている。どうということのない昔の話しではあるのだが、読んでいて、鬼気迫るものがその文章の行間からたちのぼってくる。今回も、この巻二十七に

  • 『今昔物語集』(二)新日本古典文学大系: やまもも書斎記

    小峯和明(校注).『今昔物語集』(二)新日古典文学大系.岩波書店.1999 https://www.iwanami.co.jp/book/b259642.html 続きである。 やまもも書斎記 2019年3月16日 『今昔物語集』(一)新日古典文学大系 http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/03/16/9047787 第二冊目には、巻六~巻十(巻八欠)を収める。「震旦」つまり今のことばでいえば、中国の話しをあつめてある。『今昔物語集』のことばについて、その前半部、巻一~五(天竺)、巻六~十(震旦)の部分と、後半部、朝については、ことばが異なるというのは、国語学、国語史として常識的なことがらだろう。 が、これがあきらかなものとなったのは、特に、古い古典大系の校注の仕事を通じてであったということも、忘れてはならないことでもある。そして、『今昔物語集』を読