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ブックマーク / ichinics.hatenadiary.com (17)

  •  ポテトチップス界のメインキャラクター達 - イチニクス遊覧日記

    「めしばな刑事タチバナ」の新刊に掲載されている「ポテトチップス紛争」回が面白かったです! めしばな刑事タチバナ 6 [ポテトチップス紛争] (トクマコミックス) 作者: 坂戸佐兵衛,旅井とり出版社/メーカー: 徳間書店発売日: 2012/08/04メディア: コミック購入: 2人 クリック: 35回この商品を含むブログ (16件) を見るコイケヤの焦げについての言及とか、銘柄派かフレーバー派かとか、カラムーチョVSエスニカン対決が時をこえて今はカラムーチョVSヒーハー!になっているとかいろいろ、そうそう!っていいたくなるところがあって楽しい。私もそこに混ざって話がしたくなりました。 でも、女子部だからってタチバナが「フラ印」を出してくるのは安易じゃないのかな〜と思います。もちろんフラ印はポテトチップス史に欠かせないものではあるんですが、取り上げ方が「女子だから」以上のものになってなかったし

     ポテトチップス界のメインキャラクター達 - イチニクス遊覧日記
  •  星野源/20100712@渋谷CLUB QUATTRO - イチニクス遊覧日記

    ソロアルバム「ばかのうた」の発売記念ライブに行って来ました。 星野さんのソロライブに行くのは風呂ロック(id:ichinics:20100204:p1)に続いて2回目なのだけど、今回はバンド編成(伊賀航(B)、伊藤大地(D)、野村卓史(key))で聴けたのがうれしかった。 星野さんの声は、のびやかで耳にやさしい。作る音楽によく馴染んでいるところがいいなあと思います。聴いていてとても落ち着く。それから、どの曲もちょっと物語みたいなところが楽しいです。「兄弟」とか特にそう思う。 先日、古屋さんに入ったらちょうどアルバム「ばかのうた」で一番好きな「茶碗」という曲がかかっていたことがあって、そのときもこのアルバムはに似合うと思ったのだった。それはもしかしたら、言葉の乗せ方がちょっと童謡っぽいからなのかなとか思う。組み木の床、廊下の突き当たりの図書室、音楽室から聞こえてくるチューニングの音、とか

     星野源/20100712@渋谷CLUB QUATTRO - イチニクス遊覧日記
  •  少し「づつ」 - イチニクス遊覧日記

    いつまで経っても少しずつ、の「ずつ」に慣れない。慣れないっていうか、なんで「づつ」じゃないんだろうってよく思う。日語何年も使ってて、こんな事言ってるのはまずいと思うけど、でも「ずつ」ってなんだ。たまに間違って「すこしづつ」と打ってしまって「須子志津津」とか変換されるたびに、「ずつ」ってなんなんだと思ってきた。 私が「少しづつ」のがしっくりくる気がしているのは、たぶん「づつ」には「続く」の意味があるような気がしてるからだ。例えば「ずつ」の後には、「少しずつ歩いた」「一枚ずつ分けた」など、繰り返される「同じ動作」が続く。その繰り返されるイメージが「つづく」なのだと思う。そして「つづ」と「づつ」は似てる。「ずつ」は似てない。 それから「ずつ」「づつ」の字面だけ見ると、どうも「づつ」の方が発音しやすい気がする。それは「つ」や「ち」が同音で続くときには「つづ」のように後がにごるルールがあるからだと

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  •  なんでもない日ばんざい。 - イチニクス遊覧日記

    日記に書くことがないな、と思うときのほとんどは、前にも似たようなこと書いたなーってためらうときのような気がする。朝起きて寒かったり暑かったり、天気がよかったり遅刻したり、買い物をしたり友達にあったり、考えこんでたりただぼんやりしていたり。どれも同じではないんだけど、言葉や文章にしてしまえば、ほとんど見分けがつかなくなってしまうような気もして、つい手をとめる。 それでも何か書きたくなるのは、私が単純にキーボードを打つのが好きだからというか、頭の中で喋るスピードとほぼ同じタイミングで文字が打ち出されていく感じが、ちょっとシューティングゲームみたいで楽しいからなんだと思う。それから、書き終わって読み直す時の、例えば自転車にのって最初にペダルを踏み込んだときに、ちゃんと前に進む手応えみたいなのを確認するのも好きだ。 だから、何か書きたいときには、これいつかと同じだなと思っても、なるべく気にしないよ

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  •  阿房列車/原作:内田百けん 漫画:一條裕子 - イチニクス遊覧日記

    阿房列車 1号 (IKKI COMIX) 作者: 内田百けん,一條裕子出版社/メーカー: 小学館発売日: 2009/02/24メディア: コミック購入: 6人 クリック: 31回この商品を含むブログ (49件) を見る 内田百けん*1の鉄道の旅シリーズ『阿房列車』を漫画化した作品。原作を読んだのはもう10年以上も前のことなのでうろ覚えではあるものの、時折覚えのあるエピソードが出てきて嬉しい。 百けん先生の魅力といえば、「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」という思いつきを嬉々として実行し、トンボ帰りして貧相な気持ちになって帰宅したりする、その裏表のなさにあると思う。意地を張るのも、楽しむのも、一枚岩であるような、我侭の気持ちよさがある。それと同時に、少しだけ自分の父親に似ているようなところもあるので、個人的には少しこそばゆくもあるのだけど、 鹿児島阿房列車後章に

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  • アルパカ牧場へ行ってきました - イチニクス遊覧日記

    顔いろいろ まつげ 確認 モフ お詫び ここにあったアルパカ牧場にいってきた日記は一度消えてしまって、キャッシュとかも残ってないのであきらめてたのですが、「アルパカ牧場」で検索してきてくださる方がとても多いので、写真のみ再掲しておきます。 こちらの牧場へいったときの日記です。→http://www.nasubigfarm.com/

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  •  死刑/森達也 - イチニクス遊覧日記

    死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う 作者: 森達也出版社/メーカー: 朝日出版社発売日: 2008/01/10メディア: 単行購入: 12人 クリック: 399回この商品を含むブログ (188件) を見る 少なくとも死刑を合法の制度として残すこの日に暮らす多くの人は、視界の端にこの死刑を認めながら、(存置か廃止かはともかくとして)目を逸らし続けている。 ならば僕は直視を試みる。できることなら触れてみる。さらに揺り動かす。 余計なお世話と思われるかもしれないけれど、でも実際に人が死ぬ。誰かが誰かを殺す。誰かが誰かに殺される。そんな事態に対して不感症でありたくない。 だからできるかぎりは直視して、そのうえで考えたい。死刑は不要なのか、あるいは必要なのか。人が人を殺すことの意味は何なのか。罪と罰、そして償いとは何なのか。 p012 このを書きはじめる前、存置か廃止かでいえ

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  • これくらいのかんじで - イチニクス遊覧日記

    ここ最近、もやもや考え続けていることについて、なかなか、これ、という言葉を見つけられずにいる。 例えば、写真が写し出す一瞬の表情にある何か、と、その人自身はまた別のものだ。どちらが真実であるとかそういうことではなく、どちらも真実なのだと思う。一映画の中の、ある場面で一時停止するようなもので、それは確実にあったことだけれど、どこを取り出したかによって全く印象が違う。それが「意味」を見いだすということなのではないか。 先日、「SELF AND OTHERS」の被写体となった人のインタビューを聞きながら、その意味(や印象)というのは、見いだされた側にこそ、影響力を持つものなのではないかと思った。 それは、言葉と少し似ている。 例えば、もっとがんばったほうがいいとか、大は小をかねるとか、大人とはこういうもんだとか、そういう漠然とした価値観っていうのは意外と無意識に根付いてるものだけど、自分の中

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    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/01/31
    「何気ない風景の中に、何を見るか」
  •  「この世界の片隅に」 上巻/こうの史代 - イチニクス遊覧日記

    この世界の片隅に 上 (アクションコミックス) 作者: こうの史代出版社/メーカー: 双葉社発売日: 2008/01/12メディア: コミック購入: 23人 クリック: 507回この商品を含むブログ (281件) を見るすばらしいと思った。こうのさんの漫画には、どこか恐さを感じるところがあって、そこがいい、と思ってきたけれど、この作品にはそのような「恐さ」はあまり感じられない。おだやかな記憶のようで、しかし言葉になってはいない切実さのようなものが、底辺に流れ続けている。 それぞれの話に年号が振られていることから、もしかするとこれは、こうのさんに近しい人の話をもとにしているのかなあ、とか考える。むしろ実際の話であるかどうかというより、ある一人の女の子の思いでをスケッチした3つの短編と、嫁入りからはじまる「この世界の片隅に」の、この雰囲気は、まるで、「長い道」や「夕凪の街 桜の国」の、前にある

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    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/01/17
    「画」の漫画家
  • 「猫のこと」 - イチニクス遊覧日記

    のこと」 家に帰ったら真っ先に、ソファに直行する日が続いていた。ストーブ炊いて、ホットカーペットしいて、布団にくるまって、それでも誰かが帰ってくるたびに、顔をあげて、鳴く。その声が今日は聞こえなくて、寝てるのかなと思ったけど、触れてすぐに、わかってしまった。濡れたように、動かないその背の上で、急に自分の手が重く感じられる。けど、よく見ればそれは、私のよく知ってるいつもの寝顔で、不思議と、ああよかったねと、思った。 土曜日の夜に顔をみたときから覚悟はしていた。「顔が変わっちゃったね」と言ったら、こんな美人さんなのにひどいこというねぇ、と母さんはいったけれど、あのくるしそうなときより、今のが、ずっと落ちついた顔してる。 拾ってきたのは弟で、名前をつけたのは私だった。それももう、20年以上前のこと。私が小学生の時から一緒に住んでいたので、今でもあちこちに、そっと歩く気配があるような気がするん

    「猫のこと」 - イチニクス遊覧日記
  •  帰りたい - イチニクス遊覧日記

    今朝はJRがただ乗りし放題らしい(曲解)、という話題を通勤途中にモバツイで見て、不意に思いだしたのが 7年近く前、井の頭公園にいた夜のことだった。 春で、たぶん、吉祥寺で買い物などした帰り道だったのだと思う。ちょっと夜桜でも見て行く? なんて具合に、近くのコンビニでビールを買い、ベンチに座って、……… たしか引っ越しの話とか、した。私は引っ越しの手伝いをしていて、だから、一杯飲んだらかえって続きやろうって感じで、ふらっと公園に寄ったのだ。 桜は終わりかけだったけど、あたりにはちらほら宴会をしている人もいた。そして「いるねえ」なんてぐるりと顔を巡らせたとき、ふと、近づいてくる人影があることに気がついた。 あちらのシートから出発するところを見たので、あちらのシートの人だと思ったのだけど、別のシートへも顔をだし、また別の、とジグザグに進んで私のいるベンチの方まできて、やっと、ホームレスの人なのか

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  •  哲学の謎/野矢茂樹 - イチニクス遊覧日記

    哲学の謎 (講談社現代新書) 作者: 野矢茂樹出版社/メーカー: 講談社発売日: 1996/01/19メディア: 新書購入: 21人 クリック: 195回この商品を含むブログ (109件) を見る永井均さんの「〈子ども〉のための哲学」を手に取った時に、隣に並べられていたのがこのだったので、そのうち読もうと思っていて、読みました。とっても面白かったです。 「〈子ども〉のための哲学」を読んだ時に、今まで漠然と哲学史的なもののように捉えていた哲学というものが、実はとても個人的な「考える経過」にあるものなんだと知り、それはほんとうに目から鱗な感覚でした。ただ、そういう書かれ方とは別に、最近仕事で読んでいる哲学書みたいに、ある程度の知識を前提として書かれているものも多く、そうすると全てが推察のようなとても疲れる読書になってしまう。また、100年以上前の文章になるとどうしても納得できないところが目に

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  •  街角花だより/こうの史代 - イチニクス遊覧日記

    1995年から2007年までに書かれたシリーズと短編2作が収録されたこうの史代さん最新刊。 街角花だより (アクションコミックス) 作者: こうの史代出版社/メーカー: 双葉社発売日: 2007/03/12メディア: コミック購入: 5人 クリック: 36回この商品を含むブログ (82件) を見る「街角花だより」は花屋さん “花ひわ” を舞台にした女二人の「相棒」もの。おっとりした店長と、ある事件がきっかけで仕事をクビになり、“花ひわ” で働くことになったりんのコンビがいい具合です。二人のキャラクターは「長い道」の道と荘介をまぜてバランス良く分けたみたいな感じで、その不協和音が時には和音になるような「長い道」に対して、こちらは和音で軽快なワルツを踊るような(表紙のイメージね)お話でした。なので、「毒」はひかえめ。 このは新しいものから古いものへという順で収録されているのですが、絵柄があま

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  •  活字メディアとwebと文章 - イチニクス遊覧日記

    はてなブックマークで知った記事。 出版業界の原稿料相場については、ご存知ない方が多いと思いますので、ちょっと説明しておきましょう。この業界では原稿料を400字詰め原稿用紙一枚の価格で計算します。 だいたい、400字詰め原稿用紙一枚あたりの価格で5000円が相場です。この価格ですら、ここ30年ほど値上げがなく、ライターたちはブーブー言っております。よほど幸運な人を除いて、生活が成り立たんのであります(略)。 【みなさん、さようなら。ブログ連載から降ります。 烏賀陽(うがや)弘道の音楽コラム 】 以前、原稿を買っていただいたときに、1枚2000円という具体的な価格を言われて初めて、文章でべるというのはキツイんだなとしみじみ思ったことを思い出した。だって単純計算で月20万をかせぐのに100枚書かなきゃいけないってことになるし*1。でもまあ取材を必要とするようなフリーライター(週刊誌などを想定し

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  •  善いこと/悪いこと - イチニクス遊覧日記

    一般論、というときに私が思い描いているのは「経験則」および「社会の共通認識」というかそれってたぶん「倫理」とか「道徳」に近いものなんだと思う。 こういうものについて考えたり書いたりしていると、自分以外の人はそんなこと全て承知で、わたしだけが見えてないんじゃないのかとかそんな気がすることが、たまにあるんだけど、まあそんなことは考えても仕方ない。自分が自分で見えたと思えるように考えてるんだろうなということで、やっぱり考える。 → 例えば、一般論的に「善い」とされてることが、なんで善いかといえば、それが「一般論」、というか、例えば大多数にとって、都合のいいことだからなんだろう、ということ。でも、それは平均じゃない。あくまでも大多数の部分なのだろうし、私がこういう時になぜこれを考えるんだろうってことを考えてしまうのは、それが少し、ずれそうで(もしくはもうずれている)、ずれることを「善」から外れるこ

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  •  「長い道」/こうの史代 - イチニクス遊覧日記

    長い道 (Action comics) 作者: こうの史代出版社/メーカー: 双葉社発売日: 2005/07/28メディア: コミック購入: 4人 クリック: 81回この商品を含むブログ (239件) を見るほんともう、うまい言葉なんてみつからないけど、私はこの漫画が好きです。 ちゃらんぽらんで女好きな男、荘介のもとに、ある日「おんどれのヨメじゃ」と父親から送られてきたお嫁さん“道”。そのふたりの生活のお話です。 かみ合っているようで、かみ合わない、でもだからこそしっくりきている、二人の暮らしには、おもわず吹き出してしまうような場面もたくさんある。いとおしい空気。でも、その合間にはさまれる道の見ている風景が、この漫画の中の空間に奥行きを作り出している。期待や安心からは、少し距離をおくような。たとえば「最初の日」や「水鏡」などに描かれてる、このぽっかりとしたひとりだけの世界から、もどってくる

     「長い道」/こうの史代 - イチニクス遊覧日記
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/03/29
    ひととひととの関係は、ただお互いが向き合っているときだけでなく、このように、それぞれの世界の中で重なりあい、積み重なっていくのかもしれないと思う。
  •  さんさん録 1巻/こうの史代 - イチニクス遊覧日記

    さんさん録 (1) (ACTION COMICS) 作者: こうの史代出版社/メーカー: 双葉社発売日: 2006/03/11メディア: コミック購入: 10人 クリック: 50回この商品を含むブログ (178件) を見るに先立たれた「参さん」が息子の家族と同居をはじめる。の残したノート「さんさん録」を片手に、生活することの楽しみを知っていく参さんの物語。生活の知恵も満載です。 「この世でわたしの愛したすべてが、どうかあなたに力を貸してくれますように」 という言葉の通り、参さんの生活は、の愛したものたちに囲まれていて、それはまるで、彼女の愛し方を知るような作業だったりもする。いなくなっても、知り続ける。見ていなかったものを、見てくれている人がいることの、その喜びに満ちたおはなし。 飄々とした参さんのキャラクターがまた魅力的。

     さんさん録 1巻/こうの史代 - イチニクス遊覧日記
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/03/17
    いなくなっても、知り続ける。見ていなかったものを、見てくれている人がいることの、その喜びに満ちたおはなし。
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