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ブックマーク / taknakayama.hatenablog.com (16)

  • モザイク・クァルテットの弾くハイドン - 横浜逍遙亭

    セルゲイさん(id:SergejO)がブログで紹介していたモザイク・クァルテットの演奏会には見事に行きそびれた。この秋はアンスネスとモザイク、この二つをターゲットにしていたのだが、どちらもチケットを取り忘れてしまった。アンスネスの方は王子ホールの分の発売日に電話で購入を試みたら、すでに完売だった。まだ、タケミツホールのリサイタルはあったのだが、「そこまでして聴くほどもなし」と思い買うのを見送った。これに対してモザイクに行かなかったのは単純に物忘れの結果である。大きな失敗である。 残念さが増したように感じたのは、ハイドンの『弦楽四重奏曲 第35番 ヘ短調 Op.20-5 Hob:III.35』を彼らが演奏したことをセルゲイさんのブログで知ったときだ。モザイクが弾くこの曲は僕のお気に入りで、繰り返し聴いた。だから、ぜひ一度生で聴きたかった。もっとも、聴き逃すのもコンサートの楽しみのうち。負け惜

    モザイク・クァルテットの弾くハイドン - 横浜逍遙亭
  • 疾走するかなしみ - 横浜逍遙亭

    昨日のエントリーに対して三上さんからコメントを頂いた際に「中山さん、小林秀雄の「モーツァルト」の「疾走する悲しみ」覚えてますか?」と言われてびっくりしました。理由は二つあります。 一つは今日、今年初めてのプロの音楽家のコンサートに行ったのですが、その演目がオール・モーツァルト・プロだったこと。モーツァルトだけの演奏会など訪れるのは20年ぶりぐらいになります。まだズデニェック・コシュラーが生きていて都響をしばしば振っていた頃にやった「三大交響曲」、東京文化会館ということまで覚えているぐらい。それぐらいモーツァルトを目指してコンサートに行かない僕が、「明日は久しぶりにモーツァルトだ」と思っていたら、三上さんからのコメントです。うわあと思いました。 もう一つについては、いままで黙っていたのですが、1,2週間前に『三上のブログ』に無惨な白樺の切り株の姿が掲載されたまさにその日に、何の因果か我が町内

    疾走するかなしみ - 横浜逍遙亭
  • モーツァルトが求めていたもの - 横浜逍遙亭

    高橋英夫さんの『疾走するモーツァルト』は、「ハイドン・セット」の分析から始まる。傑作の誉れ高い「ハイドン・セット」は、弦楽四重奏というジャンルの創始者であり、音楽の師と仰ぐハイドンにモーツァルトが捧げた6つの弦楽四重奏曲の通称である。小林秀雄は『モオツァルト』の中で「彼の真の伝説、彼の黄金伝説は、ここにはじまるといふ想ひに感動を覚えるのである。」と書く。典雅にして、緻密、溢れるばかりの新しい試みに満ちたこの中期の傑作について、高橋さんは次のような問題認識を呈する。 たしかに≪ハイドン・セット≫六曲の諸所方々から、ハイドン風な音色と主題も耳に聴こえてくる。たとえば三曲目変ホ長調と四曲目変ロ長調≪狩≫の終楽章がハイドンを思わせる明快率直さを見せているだけでなく、実際にハイドンの主題も幾つか取り入れられてさえいる。≪リンツ・シンフォニー≫でも顕著なハイドンの痕跡が認められる。それでいてモーツァル

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  • “アンチ・カラヤン”が消えた二つ目の理由 - 横浜逍遙亭

    “アンチ・カラヤン”が減った最初の理由が彼の肉体がこの世からなくなったことに由来しているとすれば、二つ目は時代がカラヤンを乗り越えて前に進んでいったことに求めてよいだろうと思う。カラヤンの先進性、新しいことに対してアグレッシブで完璧主義、ビジネスマンシップに富みテクノロジーに先見の明があるといった彼のライフスタイルは、今の時代ならば若者からお手として崇められるような類のものだ。いや、崇められるなんて言うのは大げさにすぎるばかりで、当たり前の前提と思われてしかるべきなのかもしれない。 音楽的には古楽が聴衆の間で際物以上の存在として認められたこと、カラヤンのように人と違うことをやること、自己主張をすることを美徳とする音楽家が普通の存在になったことによって、カラヤンの音楽はいつの間にかオーソドックスの部類の入るようになってしまった。ある日、久しぶりにカラヤンの録音を聴いた僕の耳は、ほんとうに彼

    “アンチ・カラヤン”が消えた二つ目の理由 - 横浜逍遙亭
  • “アンチ・カラヤン”が消えた一つ目の理由 - 横浜逍遙亭

    昨日のカラヤンに関するエントリーには、kanyさん(id:kany1120)から次のようなコメントを頂いた。 町のCD屋で購入できる交響曲はだいたいカラヤン指揮のものでした。だから、こういうふうな経緯があって、アンチという人もいるということが新鮮です。 「アンチな人もいる」というフレーズが、自然な世代間ギャップを示してたいへん興味深い。70年代後半、長島が引退し、王に往年の迫力がなくなって思い通りにホームランを打てなくなるさまを見ながら「王と長島がいないプロ野球なんて想像できないなあ」と呟いていたアンチ巨人の僕にしてみると、大して憎たらしくもなくなってしまった読売巨人軍には未だに「アンチな人もいる」らしいのに、カラヤンへの身勝手な反感はあっという間に消えてなくなったこと自体に、なにがしら心が和む部分がある。 kanyさんの言葉は僕が今頃「カラヤン全集」などを買うことになった理由の一面を言い

    “アンチ・カラヤン”が消えた一つ目の理由 - 横浜逍遙亭
  • 西洋音楽はアフタービートか - 横浜逍遙亭

    恭正著『西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け』(光文社新書)を読んだ。著者の森恭正さんは芸大の後にウィーン国立音大で学び、彼の地で作曲家としてのキャリアを築いた音楽家。その著者が、これまでのご自身の体験に基づいて、日人と西洋音楽の距離、日音楽と西洋音楽の違いについて思うところを綴ったのが書だ。タイトルが「西洋音楽論」だが、内容はそれほど硬い作りではなく、6章立てのエッセイという方が正しい。サブタイトルの「クラシックに狂気を聴け」は、想像するに「西洋音楽論」をタイトルとして主張した著者に対し、「なんぼなんでも、それじゃ新書としては売れないだろ」と当然のように考えた編集者が、それとは正反対の色合いのサブをつけて懸命にバランスを取ろうとしたように見えるが、「この正副のタイトルじゃ何言いたいのかさっぱりじゃねぇか」と言いたくなる芸のなさ。ご愛嬌といえば、それまでだが、これはなんとももっ

  • 名和小太郎著『著作権2.0』 - 横浜逍遙亭

    勤め先で一月ほど前に出したで、とくに話題にもなっていないが、これはビジネス書としてすばらしい一冊。ITビジネスにかかわる多くの方にお勧めしたい。 現在、国際的な著作権のあり方を基礎付けている国際条約であるベルヌ条約が、その制定当時に存在した、どのような社会情勢、技術の状況、メディアをめぐる需給の関係を基にできあがったものか、19世紀の状況に適合するように定められた著作権をめぐる考え方が、現在においては如何に時代遅れであり、目下のメディア需給環境に適合しないものであるかを、平易な表現で整理し、「新しい革袋(=新たな著作権)」の必要性を明らかにしたである。 メディアを規定する技術があり、それをビジネスとして供給する者がおり、メディアを消費したい消費者がいる。時代が移り、技術が変化し進化するのを受けて、ビジネスの形態は変化し、同時に消費する側の欲望も変わる。そうであれば、アーチストやクリエイ

    名和小太郎著『著作権2.0』 - 横浜逍遙亭
  • 本の売上の話 - 横浜逍遙亭

    既存の出版社が紙の出版から電子出版に乗り換える、あるいはハイブリッドに紙と電子の二股をかけてあるコンテンツを世に送ろうとした場合にたちまち突き当たるのは、電子で紙と同等の売上高を上げるのは簡単じゃなさそうだぞという問題だ。どういう意味でそう言っているのかというと、電子版の方がお客をつかまえるのが難しそうだという話ではない。それはさておきである。試しにこういう状況を想像してみる。僕が『ブロガー奮戦記』というを出したとする。そして実際にそのを買ってくれたのが1000人だったとする。このは電子版も紙の書籍も同じ1000部がお客さんに売れると仮定しよう。これが話の前提だ。 もし、この1000部の売上が電子版だっとすると、出版社の売上は定価×1000部。電子版1000円のであれば100万円の売上だ。何の不思議もない単純なかけ算である。 これが紙のではどうなるか。実際に1000部がレジを通っ

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  • 本は編集者が作る - 横浜逍遙亭

    第1回ARGフォーラム「この先にあるのかたち:我々が描くの未来のビジョンとスキーム」の様子を報道やブログで拝見した。 ■『CNET Japan』8月21日 ■『かたつむりは電子図書館の夢を見るか』2009年8月18日 このフォーラムの後半で、ジャーナリストの津田大介さんがご自身のジャーナリストとしての体験を下敷きにして、出版の現在と未来に関して発言をしていている。津田さんは一冊書いて百万円に満たない現在の印税額のレベルでは、職業著者を育てるのは難しいという意見を表明し、今後の出版社の役割を「読者と執筆者をつなぐファンクラブのような「情報中間業」」と非常に苦しいビジョンで語っている。 続いて登場した橋大也さんは、津田さんの問題提起を引き継ぐかたちで「印税1割ではなく、印税9割を実現する取り組みを」と現在の出版産業のあり方を根的に否定する方向での問題解決の方向を示唆している。 出版の原

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  • 外国で感じたごく小さな不愉快の思い出 - 横浜逍遙亭

    ニューヨークに駐在を始めたとき、ドイツ語は少ししゃべれるが、英語はあんまり、というのが僕の英語力だった。こういうことを書くと、それだけでいけすかない野郎だと感じる人が世の中にたくさんいるかもしれないが、このブログ界隈だと、その種の心配はあまりいらないところがいい。この空間が梅田望夫さんのいうところの「志向性の共同体」である所以なのだと、そんな風に信じて先に進ませていただく。 で、である。4年もいて毎日英語をつかって仕事をすることを余儀なくされれば、いくら下手でも道具はそれなりに使えるようになる。ニューヨークにいる間にドイツに4回出張し、一度遊びに行ったが、いつの間にかドイツ語は少し、でも英語はもう少しという感じにはなった。どっちにせよ、たいした力量ではないのは自分が一番よく知っているが、比較考量の問題でいうと、そう。最初に行ったとき、二度目に行ったときには、下手なりに日独語の通訳の役回りで

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  • 村上春樹が僕に教えてくれたカジュアルな格好よさについて - 横浜逍遙亭

    我々の世代にとって、村上春樹の小説は蠱惑の壺であり毒だった。hayakarさんのエントリー「僕と鼠」は、その雰囲気を見事に押さえていて、一昨日はこれを読みながら一瞬の物思いにふけることになった。文学が大衆の嗜好を先導し時代の風俗に影響を及ぼすのはいつの時代にもあったことだろうが、我々の時代にその出番が回ってきたのが村上春樹で、ファンの若者は皆なにがしかの影響を受けたのだと思う。 別にだからといって直接僕が何をしたわけではない。当時の大学生なんて基的にお金がないし、たとえあったとしてもバーに行ってかっこつける年格好ではない。不細工ななりでは双子のガールフレンドができるほどもてることなんて100パーセントありえない。スパゲッティをゆでておいしい料理を作る器用さと甲斐性は持ち合わせていない。けっきょくは村上春樹の世界は夢の世界、あこがれの国の出来事でしかなかったと言ってしまえば話はまたなんとも

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  • 村上春樹に戻る - 横浜逍遙亭

    村上春樹の初期作品には、と僕がここで言うのは、主に“100パーセントの恋愛小説”『ノルウェイの森』が出る以前の作品群を指してそう呼びたいのだが、若さ故の心の過剰と無力感をすくいとって癒してくれる何かがあった。当時の読者である僕にとって村上春樹の小説はそういうものとしてかけがえがなく、村上春樹が売れるということは、世の中には自分と似たような心象風景を抱いて過ごしている幾千もの人々が存在することの証明でもあった。村上自身がそうであるように、僕自身も含めてこれらの人々の多くが連帯といった行動様式を得意としていないとすると、そこから積極的な何かの社会的な運動が出てきたりすることはありえない。ビートジェネレーションのようには、という意味だ。それでも、村上春樹が読まれているという事実は、どこの誰だか分からない誰かに向かって密かな連帯の感情を抱く感覚を心の中に生じせしめたような気がする。 こうした感情を

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  • 『走ることについて語るときに僕の語ること』を読み始める - 横浜逍遙亭

    自動車の下で夜露をしのいでいるらしい野良の「車」に今日も通勤途上で出会った。かなり大きな図体のこの白黒は、道ばたに駐車している自家用車の下にいていつもバンパーの下あたりに丸い足が覗いている。だいたい白の大衆車の下にいるが、その車が出払っていた今日は、隣の赤いスポーツカーの下で丸くなっていた。考えごとをしながら歩いていたためにのことはすっかり意識から消えていたのだが、今日は嬉しいことに先様から「にゃお」と挨拶をしてもらう。大きな声だ。はっと気が付いて腰をかがめ「Hi!」と一声かけて先を急いだ。 先日話題にした『走ることについて語るときに僕の語ること』を読み始めた。ブログに感想を書くのなら読み終わってから一筆啓上するのが通り相場だろうが、長い読書になりそうな気がして、書けるときに書いておく作戦で行くことにした。そんな文章が許されるのもブログの一興だろう。 長い読書になりそうと言ったのは、

    『走ることについて語るときに僕の語ること』を読み始める - 横浜逍遙亭
  • アメリカの新聞のイラストの素晴らしさ - 横浜逍遙亭

    ニューヨーク・タイムズの優れているところ、感心することに記事を図解するイラストの秀逸さがある。ここでニューヨーク・タイムズを引き合いに出しているのは、たまたま僕がニューヨーク・タイムズしか知らないからで、ワシントン・ポストでも、シカゴ・トリビューンでも、アメリカのクオリティ紙には共通する話だろうと思う。 記述されている内容の理解を視覚的に助けるという点でとても有用だし、さらにデザインの品質の高さ、紙面に目にとっての喜びを与えるという意味でも素晴らしい。日の新聞には、そうしたアーティスティックな情報消費の喜びを読者に与えようという気持ちはまるでないらしく、ニューヨーク・タイムズのようなセンスのあるイラストには出会えない。 新聞がWebという新しいメディアに拡張されたときに、その伝統とセンスはより生きる。ニューヨーク・タイムズはおそらく無料の登録をしないと見ることができないはずなので、すぐに

    アメリカの新聞のイラストの素晴らしさ - 横浜逍遙亭
  • コンサートの楽しみについて - 横浜逍遙亭

    「コンサートの」とタイトルを付けてはみたものの、最近はプロの演奏を聴きに出かけるのは年に2,3度程度。あとは友人達が関係しているアマチュアの団体の催し物を3度か4度拝聴するのがせいぜい。身も蓋もない話だが、子供らの学費も払わねばならないし、お小遣いには限りがあるし、だって少しは買いたいし、お酒は毎週飲みたいし、カメラまで買ってしまったし、となるとコンサートは優先順位の下の方に置かれてしまう。『三上のブログ』で、三上さんがコンサートや美術館のような場所が苦手だとお書きになっているのを読んで、そこで書かれているように、それがへんだとはまるで思わないけれど、へぇ自分とは逆だなあと面白くは思った。 ■作品とは何か(『三上のブログ』2004年8月26日』) ついでに書いておくけれど、人間なくて七癖、誰がどのようなこだわりを持っていても、そのこだわりがプラスの方向へのものだったとしても、その反対方向

    コンサートの楽しみについて - 横浜逍遙亭
  • 換骨奪胎 - 横浜逍遙亭

    戦前に活躍したドイツの建築家ブルーノ・タウトの名前は、日では桂離宮や日建築、日文化の紹介者としてつとに有名だ。タウトがどんな建築家は知らなくても桂離宮をべた褒めしたガイジン建築家の名前は多くの人が知っている。僕のタウトの知識もそのレベルである。熱海の旧日向別邸は、タウトの研究者やファンにとっては垂涎ものの歴史的建造物だろうが、タウトが日で唯一手がけた建造物(といっても内装をデザインしただけだが)は、僕が眺めてもに小判の比喩を一歩も出ない。でも、は小判で買い物はしないが、遊び好きのならば、一瞬なりともきらきら光る小判にじゃれあって楽しむかも知れない。素人の見学はそんな感じのものだ。 旧日向別邸は、貿易商・日向利兵衛氏の別荘だが、海を望む地下広間の内装を当時、日の建築界から敵視され、仕事を制限されていたタウトのために彼の世話をしていた役人が日向利兵衛に依頼をして実現してあげた仕

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