タグ

ブックマーク / www.kahoku.co.jp (51)

  • 東北大図書館が「狩野文庫」デジタル化 江戸学の宝庫、第1弾232点を公開 | 河北新報オンラインニュース

    東北大付属図書館は、所蔵する「狩野文庫」の資料約2万点をデジタル公開する。明治期の思想家・教育者狩野亨吉(かのうこうきち)の旧蔵書で、9月24日に第1弾として江戸期を中心とした古典籍232点をネット上で閲覧できるようにした。文庫は「江戸学の宝庫」として国内外の研究者から注目を集めており、デジタル化で閲覧希望者の利便性を高める。 国文学研究資料館(東京)が運営するウェブサイト「新日古典籍総合データベース」で公開する。江戸期の季節行事の供え物を描いた「四季献立式」、徳川吉宗の命で編さんされたとされる刀剣カタログ「名物刀剣記」などを画像ファイルで閲覧できる。 狩野は現在の大館市に生まれ、旧制一高校長などを務めた。旧蔵書は文学や哲学、自然科学など幅広い分野に及び、「古典の百科全書」とも称される。所蔵する東北大図書館には各地から研究者らが訪れていた。 デジタル化によって、資料の文字を拡大して読むこ

    東北大図書館が「狩野文庫」デジタル化 江戸学の宝庫、第1弾232点を公開 | 河北新報オンラインニュース
  • <まちかどエッセー・小林隆>中国語由来のズンダ | 河北新報オンラインニュース

    小林隆[こばやし・たかし]さん 東北大方言研究センター教授。1957年新潟県生まれ。東北大国語学研究室を経て国立国語研究所研究員。2004年東北大文学部教授。博士(文学)。専門は方言学。著書に『ものの言いかた西東』(岩波新書)、『とうほく方言の泉』(河北新報出版センター)など。仙台市青葉区在住。 「学校」「病院」「経済」「法律」「自由」。これらはいずれも中国語から日語に取り入れられた漢語である。この漢語、硬い印象の言葉も多いから、方言とは無縁のように思われるかもしれない。ところが、方言の中にも漢語は数多く入り込んでいる。かなり姿を変えているから簡単には見破れないが、素性を尋ねると意外にも漢語だったというものが結構ある。 その一つがズンダである。あの枝豆をすりつぶし、砂糖で甘く味付けしたズンダのズンダである。「豆打」説などいくつか語源説があるが、どうやら漢語「糂汰(ジンダ)」に由来するよ

  • 考えよう、宮城県美術館のコト。-河北新報社

    宮城県美術館は1981年11月、県内初の公立美術館として開館した。 東北や宮城にゆかりのある作家を中心に油彩画、日画、版画、水彩・素描、彫刻、写真など約6800点(2016年度末現在)を収蔵する。代表的な作家は彫刻家佐藤忠良、日画家の荘司福や平福百穂、洋画家の宮城輝夫や杉村惇、萬鉄五郎、松竣介ら。ヴァシリー・カンディンスキー、パウル・クレーなど海外のコレクションもある。 展示室4室と作品制作に利用できる創作室、造形遊戯室、講堂、図書室などから成り、創作室には専門職員が常駐する。鉄筋コンクリート地上2階・地下1階、延べ床面積は約1万2000m²。90年には敷地内に佐藤忠良記念館(地上1階・地下1階、延べ床面積約3000m²)が完成した。 アクセス

    考えよう、宮城県美術館のコト。-河北新報社
  • 職員の震災体験後世に 宮城県が記録し共有、1200人聞き取りへ | 河北新報オンラインニュース

  • 伝承の役割期待の一方で…震災遺構維持費に不安 沿岸市町村が持続可能な運営模索 | 河北新報オンラインニュース

  • 地下街のない街仙台 構想浮かんでは消え半世紀 | 河北新報オンラインニュース

    「仙台市にはどうして地下街がないの?」。素朴な疑問が「読者とともに 特別報道室」に寄せられた。JR仙台駅に地下自由通路や地下歩道はあるものの店舗はなく、地下街とは様相が違う。東北最大、人口108万都市なら地下街があってもよさそうなのに、なぜ存在しないのか。取材を進めると、地下街構想が浮かんでは消えた仙台特有の事情があった。 ◎駅前商店街の反発強く JR仙石線の地下化で、2000年に全面開通した仙台駅の東西地下自由通路。東口の宮城野通からJR、市地下鉄の駅構内を経て青葉通、あおば通駅まで約700メートルをつなぐ。 途中、エスパル仙台店の料品売り場に入る約40メートルはにぎにぎしい。それ以外は壁面広告が続き、殺風景だ。市民が黙々と歩く文字通りの「通路」。東北の玄関口としては少し寂しい。 地下街を整備する話は、これまで一度もなかったのか。市都市整備局に尋ねると、幹部職員は記憶をたどり「昔はあっ

    地下街のない街仙台 構想浮かんでは消え半世紀 | 河北新報オンラインニュース
  • 日本最北端の「猫碑」か 青森県内で初めて発見 | 河北新報オンラインニュース

    青森県黒石市で石にの姿が彫られた「碑」が計3基見つかった。市史に石碑に関する記述はあるが、実物は確認されていなかった。うち2基を発見した宮城県村田町歴史みらい館の石黒伸一朗専門員(61)によると、青森県内での碑の発見は初めてで、日最北端のものとみられる。 石黒さんが見つけた2基の碑はの姿が浮かび上がるように彫られ、高さ22~24センチの大きさ。台座はなく、地面に置かれていた。いずれも三角形にとがっている頭部が特徴的という。 2基のうち、同市大川原で見つかった碑の正面には「奉納」「明治八年」の文字と右側面に「久三良立之(久三良之(これ)を立てる)」との文言が彫られていた。残る同市高舘の墓地にあった碑には、建立年などは彫られていなかった。 1985年発行の市史には2基の碑の所在地が記されている。石黒さんはこの情報を頼りに2011年秋に実物を発見し、今年5月、仙台市であった

    日本最北端の「猫碑」か 青森県内で初めて発見 | 河北新報オンラインニュース
  • 青森県「衝撃」ネーミング続々 評価は二分 | 河北新報オンラインニュース

    お知らせ いつもご利用いただき、誠にありがとうございます。 この度、河北新報オンラインニュースは、ウェブサイトをより使いやすく快適にご利用いただけるようにリニューアルし2020年12月14日に新しいURLにして、企業サイトも新設しました。 今後も更にわかりやすく最新の情報を掲載するンラインニュースサイトを目指しますので、どうぞよろしくお願い致します。

  • <週刊せんだい>書店事情2018(4完)文化継承/店の枠超え経験伝える | 河北新報オンラインニュース

    6月に開く次回のあそぶ会に向け、打ち合わせをする(左から)加藤さん、増田さん、室さんら=5月上旬、仙台市青葉区 昨年6月、仙台市内で小さな勉強会が始まった。「子どものほんとあそぶ会」。青葉区中央にある児童書専門店「ポラン」の店主増田家次子(かじこ)さん(83)を、市内の書店の児童書担当ら7、8人が囲む。売り場の最前線にいる書店員が店の枠を超えて集う場は珍しい。 <一生の宝選び> ポランは1977年にオープン。増田さんは90年から店を1人で切り盛りしてきた。数カ月に1度のあそぶ会では参加者が質問をぶつけたり、お薦めのを紹介し合ったり。気軽な雰囲気の中、増田さんの言葉に耳を傾ける。 「選びで相談されたら時間をかけて向き合って、いろいろ聞いて一緒に選んであげて」「の対象年齢は目安。年齢で判断しないで。子どもが読みたいと思って選んだが一生の宝になる」「親子で絵を読む時間を共有することが、

    <週刊せんだい>書店事情2018(4完)文化継承/店の枠超え経験伝える | 河北新報オンラインニュース
  • 戊辰戦争来年150年 白石でフォーラム | 河北新報オンラインニュース

    白石市は16日、来年の戊辰戦争150年を記念した「歴史フォーラム」を、同市のホワイトキューブで開いた。 白石が舞台となった史実を、今後のまちづくりに生かす「しろいし慕心(ぼしん)プロジェクト」の一環で、市民ら約400人が参加。元NHKアナウンサーで京都造形芸術大の松平定知教授と、大阪城天守閣の北川央館長が対談した。 白石は、薩長中心の新政府から「朝敵」として追討令を受けた会津藩を救済しようと「奥羽越列藩同盟」が事実上結ばれた地。軍事や政務を執り行う「軍議所」が置かれた。 北川氏は「東北諸藩は朝廷に尽くしてきた会津藩の正義を証明しようと立ち上がった。幕府が守旧派、薩長が改革派という見方は実態と違う。勝てば官軍ではなく、明治維新もきちんと検証すべきだ」と話した。 松平氏は「会津の魂は時代が変わっても脈々と生きる。その会津を救おうとした拠点があったことは白石の誇りになる」と述べた。

    戊辰戦争来年150年 白石でフォーラム | 河北新報オンラインニュース
  • 学校日誌が伝える戦争 角田・枝野小に保管 | 河北新報オンラインニュース

    角田市枝野小(児童81人)が、戦前の学校日誌の分析を進めている。校内に残されていたのは、最も古い1911(明治44)年から、終戦の45(昭和20)年までの日誌や教科書など計82点。勤労生産や教育勅語が朗読された式典に関する記録など、児童が戦時体制に動員された様子が伝わる貴重な資料だ。学校は地域の歴史を学ぶ上で格好の教材として、授業に活用する方針。 枝野小は1873年開校。1911年の日誌には、朝鮮に行くため児童2人が退学したことや、海軍兵と青年が剣術の試合を行ったことが記載されている。 太平洋戦争が始まった41年12月8日付には「米、英二対シ宣戦布告」と記されている。戦況が悪化した44年は連日、縄をなったり、イナゴを捕ったり、高学年は防空壕(ごう)を掘ったりと作業を行った。軍に入営する教員の見送りや、警戒警報の発令なども記されている。 1890年に発布された教育勅語を巡り、発布日の10月3

    学校日誌が伝える戦争 角田・枝野小に保管 | 河北新報オンラインニュース
  • 河北新報 東北のニュース/考古学研究100年紹介 歴史博物館で東北大の資料展示

    考古学研究100年紹介 歴史博物館で東北大の資料展示 13日に始まる特別展の会場 東北の史実の解明に取り組んできた東北大の考古学研究の歩みをたどる特別展「考古学からの挑戦-東北大考古学研究の軌跡」が13日、宮城県多賀城市の東北歴史博物館で始まる。1世紀にわたる歴史を持つ同大の考古資料が初めて、一堂に公開される。  東北大の考古学研究は100年ほど前に始まった。東北の稲作の起源を探求した伊東信雄教授は1958年、青森県田舎館村の垂柳遺跡で炭化したコメを発見し、弥生時代に東北北部で稲作が営まれた根拠だと唱えた。  多くの研究者が他地域から持ち込まれたと切り捨てたが、82、83年の青森県教委が東北初となる弥生時代の水田跡を確認。九州で派生した弥生文化が予想を超える速さで州北端に到達していたことが明らかになった。  特別展では炭化米をはじめ伊東氏の研究成果など900点を展示する。旧石器時代研究の

  • 酪王カフェオレの歌誕生 福島の味うまさ拡散 | 河北新報オンラインニュース

    福島県内で根強い人気の飲料商品「酪王カフェオレ」のテーマソングが誕生した。東京電力福島第1原発事故の風評を振り払って発売40年を迎えたのを記念し、福島市のシンガー・ソングライターMANAMIさん(24)が作詞作曲。「一口飲んだら たちまちハッピー♪」と人が歌うテレビCMも県内で放映されている。  商品は、酪王乳業(福島県郡山市)が創業1年後の1976年に発売した。牛乳の割合が約6割とやや多く、程よい甘さが特徴。売り上げの8割が県内という「福島のソウルドリンク」だ。  原発事故後、県産商品に対する風評が高まった際、東京の漫画家が「そんなことより酪王カフェオレおいしい」とネット上で激励。投稿が拡散して知名度が上がった。売り上げは事故前の2割増に急伸。事故後に2割以上落ち込んだ会社全体の売上高も1割減の水準まで回復した。  MANAMIさんはローカル鉄道の福島交通飯坂線の応援歌なども手掛ける。

    酪王カフェオレの歌誕生 福島の味うまさ拡散 | 河北新報オンラインニュース
  • 白井晟一設計の湯沢市役所雄勝庁舎解体へ | 河北新報オンラインニュース

    戦後日を代表する建築家の一人、白井晟一(1905~83年)が設計した秋田県湯沢市役所雄勝庁舎(旧雄勝町役場)の保存と利活用を同市の建築士らが求めていた問題で、市は22日、同庁舎を解体する方針を市議会全員協議会に示した。市は1日に開会する9月定例市議会に関連の補正予算案を提出する。  庁舎解体関連費用は約6380万円。同庁舎に入る市雄勝総合支所を隣接地の建物に移転し、庁舎解体後の敷地を約90台分の駐車場として整備する。解体工事は12月にも始める予定。  同庁舎を巡っては、市が3月の市議会全員協に解体の方針を報告。これに対して湯沢雄勝建築士会などが5月、自ら管理する方針を示したため、市は解体関連予算案の提出を一時中止した。同会に同庁舎を譲渡する条件を示し、8月5日までに活用・保存や資金面などの計画書提出を求めた。  同会を中心に構成する「白井晟一 湯沢・雄勝6作品群を遺(のこ)す会」は5日、

    白井晟一設計の湯沢市役所雄勝庁舎解体へ | 河北新報オンラインニュース
  • 廃れる少数民族の言語 ウイグルに学びの場を | 河北新報オンラインニュース

    中国の新疆ウイグル自治区出身でオイラト族のバタさん(40)=仙台市青葉区=が、古里にオイラト語を学べる塾をつくろうと心血を注いでいる。少数民族の言語は廃れる傾向にある。文化を継承しようと市内で輸入卸売業を始めるなど、資金集めに奔走する。  バタさんは2002年、東北大の留学生として来日した。天然資源に恵まれない中、経済発展を遂げた日に学び、古里のために尽くそうと開発経済学を専攻。現在は、宮城県大河原町の医療事務のアルバイトで生計を立てる。  バタさんが思い描く塾は、オイラト族の子どもらを対象に毎週末、無料でオイラト語を学べる場とする。モンゴル語や中国教育が進み、オイラト語を話せない子どもが増えている現状に心を痛めるバタさんは「子どもらに民族の文化を引き継ぎたい」と話す。  東北アジア研究センター(青葉区)の栗林均・東北大教授(モンゴル言語学)によると、オイラト族はモンゴルや新疆ウイグル

    廃れる少数民族の言語 ウイグルに学びの場を | 河北新報オンラインニュース
  • <多賀城内館館跡>空撮で室町後期屋敷跡発見 | 河北新報オンラインニュース

    多賀城市南宮の内館館跡(うちだてたてあと)で、室町時代後期の堀に囲まれた屋敷跡が見つかった。発見の契機となったのが航空写真の分析で見つかった農地のクロップ(農作物)マーク。埋没している遺構の影響で農作物の成育に違いが出ており、その場所を調べるとマーク通りに堀の跡が見つかった。市教委は4日午後1時半から現地説明会を開く。  クロップマークは、JR東北線陸前山王駅から北西約1.5キロの水田で確認された。航空写真では、幅2~3メートルの二重の堀に囲まれた隣接する2区画の形がうっすらと浮き上がって見えた。  堀の内側にあった井戸跡などからは、漆器のわん、すり鉢型の土器、木製のげた、ひしゃくなどの生活用品が出土。柱を立てた穴も数カ所確認され、有力者の屋敷跡と推定された。  多賀城市西部は、鎌倉時代の陸奥国府留守所(るすどころ)の長官の子孫で、代々この地を治めた「留守氏」の屋敷跡がある。内館館跡は、室

    <多賀城内館館跡>空撮で室町後期屋敷跡発見 | 河北新報オンラインニュース
  • <熊本地震>「想定外」宮城の教訓届かず | 河北新報オンラインニュース

    地震で倒壊し、道路側に倒れたブロック塀。専門家は「法律を守っているものはほとんどなかった」と指摘する=4月29日、熊県益城町 30日で震から2週間となった熊地震の被災地では、建物などの耐震化の遅れが多くの被害を招いた。熊では「大地震は来ない」という意識が強かった。1978年の宮城県沖地震で危険性がクローズアップされたブロック塀の倒壊による犠牲者も出た。東日大震災を含めた宮城の教訓は届かず、思い込みは街や暮らしを無防備にした。(報道部・藤貴裕)  「まさかここで大地震があるとは誰一人思わなかった。想定外も想定外だ」  震度7を2回記録した熊県益城(ましき)町。町内の無職男性(83)は壁にひびが入り、立ち入り禁止となった町役場を見上げた。男性は自宅が傾き、近くの合志(こうし)市の娘宅に身を寄せる。  台風の常襲地帯。風水害への備えはあるが、地震防災という考え方は頭になかった。男性

    <熊本地震>「想定外」宮城の教訓届かず | 河北新報オンラインニュース
  • 元白虎隊の物理学者山川健次郎の手帳見つかる | 河北新報オンラインニュース

    物理学者で東京帝大総長などを歴任した元白虎隊士山川健次郎(1854~1931年)の手帳が遺族宅で見つかった。1907年ごろに視察した各地の教育機関の様子などが記してある。研究者は「日露戦争後、人材育成が急務になっていた当時の教育事情を知る貴重な資料」と評価する。  会津藩士の家に生まれた山川は米エール大で学んだ後、東京帝大理学部で物理学を教えた。九州、京都両帝大の総長も務めた。  手帳は07~09年ごろの物とみられ、山川の研究者で秋田大教育文化学部の中沢俊輔講師(日政治外交史)と青山学院大文学部の小宮京(ひとし)准教授(日現代史)が発見した。  手帳によると、山川は07年1~2月に九州を訪問。長崎では、長崎高等商業学校(現長崎大経済学部)の校長から予算が1万5000円増えれば定員が120人増やせると聞き「目下専門教育機関欠乏し居れば是非決行し度ものなり」(1月23日)と賛同している。

    元白虎隊の物理学者山川健次郎の手帳見つかる | 河北新報オンラインニュース
  • 3世紀の伝統5年ぶり復活 | 河北新報オンラインニュース

    ◎石巻・長面「大般若巡行」/「またできるとは」住民感慨  東日大震災で甚大な被害を受けた石巻市長面の龍谷院で10日、江戸時代から約300年の歴史を持つ正月行事「大般若(だいはんにゃ)巡行」があった。震災後は休止していたが、檀家(だんか)らが5年ぶりに再開した。男衆が経文を収めた木箱を担ぎ、境内を巡回。大勢の住民が伝統行事の復活を祝った。  男衆約30人が参加。読経の後、木箱や旗、かねなどを持って境内を練り歩いた。太鼓と笛の演奏で獅子舞も披露された。  境内に集まった住民ら約100人に、地場産の蒸しカキなどが振る舞われた。市内の仮設住宅に暮らす主婦武山きく子さん(79)は「かつての雰囲気を思い出して懐かしい。震災当時を振り返ると、またできると思わなかった」と話した。  巡行は無病息災や家内安全を祈願する新年の風習。龍谷院に伝わる経文600巻を木箱に分納、羽織姿の男性が担いで集落を回るのが恒

    3世紀の伝統5年ぶり復活 | 河北新報オンラインニュース
  • 活字10万個宮城大に寄贈 埼玉の印刷所 | 河北新報オンラインニュース

    宮城大大和キャンパス(大和町)の図書館に、埼玉県朝霞市の印刷所で長年にわたって使われた活字10万個、活版印刷機など機材一式が寄贈され、9日、収蔵式が行われた。デザインを学ぶ学生の創作活動や図書館のしおりの印刷に活用される。  寄贈したワタナベ印刷の渡辺昌郎さん(82)は「若い学生さんに活字を見直すきっかけにしてもらいたい」とあいさつ。大学関係者が見守る中で印刷の仕方を実演し、機械に注油を欠かさないよう指導した。  西垣克学長は「血と汗が染み込んだ文字の遺産を引き継ぎ、新しい知を生む努力をしていきたい」と述べた。活字を収めた木箱の一部は図書館入り口に展示。印刷機はサークル棟の一室に納めた。  活版は鉛の活字を1文字ずつ拾って組み、インキを塗って紙に押し付ける昔ながらの印刷技術。渡辺さんは2014年1月に廃業を決め、使い込んだ機材の引き取り先を募っていた。  宮城大4年の鈴木紗都さん(21)は

    活字10万個宮城大に寄贈 埼玉の印刷所 | 河北新報オンラインニュース