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Humeに関するfunaki_naotoのブックマーク (13)

  • Daily Life:ヒュームの帰納の問題の再発見

    April 14, 2024 ヒュームの帰納の問題の再発見 ヒュームの帰納の問題は現代の科学哲学で帰納をめぐる哲学的問題を紹介する際、必ずといっていいほど言及される。このように定番になっていることから、「ヒュームの帰納の問題」がヒュームが『人間性論』を公にして以来一貫して哲学の大問題として論じられてきたような印象を持つ人も多いかもしれない。かく言う私自身も科学哲学の歴史について調べ始めるまで、当然のようにヒュームの帰納の問題が二百数十年来の大問題だったと想定してきた。 しかし、少し調べれば分かるように、19世紀前半から中頃にかけての「帰納」をめぐる論争(ハーシェル、ヒューウェル、ミルらによるもの)では、ヒュームが指摘した論点は全く顧みられていない(このあたりは『科学哲学の源流をたどる』でも少し紹介したし、以下でも触れる)。では、ヒュームの帰納の問題を哲学的問題圏の中央へと押し出したのは誰

  • 人間本性論(人性論) (ヒューム デイヴィッド)

    凡例「」:斜字体や大文字の強調は、「」でくくった。[]:原注・脚注は、[]でくくって文に入れた。():訳者の補足を、()でくくって挿入した。付録は、指示されている挿入個所の文に入れた。巻末の付録に…

    人間本性論(人性論) (ヒューム デイヴィッド)
  • ヒューム 因果と自然 萬屋 博喜著

    ヒュームの因果論では、因果関係をめぐる意味論的考察、心理学的考察、認識論的考察の三つが複雑に交錯している。書ではこの関係を整理して議論の構造を包括的に捉えることで、ヒュームが因果関係を理解するという人間の実践の相において因果関係を解明し、人間の自然性に根差した科学的探究の論理を構築しようとしていたことを明らかにする。 【電子書籍あり】 紀伊國屋書店 序 第一章 合理性と帰納推論 1 帰納の問題と整合性問題 2 帰納推理と帰納推論 3 帰納推理と整合性問題 4 帰納推理の正当化 5 章のまとめ 第二章 蓋然性と帰納推論 1 ヒュームによる蓋然性の種類の区別 2 蓋然性と確率 3 主観的ベイズ主義解釈 4 客観的ベイズ主義解釈 5 帰納推論の心理学的考察が意味するもの 6 帰納推論の正当化 7 章のまとめ 第三章 因果性と意味理解 1 ニュー・ヒューム論争の発端 2 懐疑的実在論解釈

    ヒューム 因果と自然 萬屋 博喜著
  • デイヴィド・ヒューム特集 ヒューム生誕300年。大思想家の根幹に迫る!『ヒューム 希望の懐疑主義――ある社会科学の誕生』(坂本 達哉 著) | 慶應義塾大学出版会

    生誕300年。大思想家の根幹に迫る! ▼スコットランド啓蒙思想の代表的哲学者デイヴィド・ヒューム。書は、ヒューム研究の第一人者である著者が、国内外の最新の文献を渉猟し、社会科学の定礎者としてのヒュームの思想形成を精緻に描き出す。 ▼いま、なぜヒュームなのか? ▼目次を見る スコットランド啓蒙思想の代表的哲学者デイヴィド・ヒュームが生きたイギリス(とりわけ彼の祖国スコットランド)の18世紀は、一面においては、資主義の確立途上であり、前近代的な法律や制度も随所に残る伝統社会であった。同時にそれは、急速に世俗化(脱宗教化)し商業化する現代社会の先駆的時代でもあった。

  • 慶應義塾大学出版会 | ヒューム 希望の懐疑主義 | 坂本達哉

  • D・ヒューム「懐疑派」in「道徳・政治・文学論集」(3) - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    中央公論社「世界の名著32・ロック・ヒューム」の巻頭にある「イギリス経験論と近代思想」という解説で、大槻春彦氏がヒュームについて書いていることにいろいろと教えられた。 ヒュームは数学が苦手だったのだそうである。「人性論」で数学者や幾何学者にいろいろと啖呵をきっているところがあって、よっぽど数学も得意なのだろうと思っていた。はったりなのだろうか? ヒュームの導きの糸となったのはニュートンの自然学とロックの哲学なのだそうであるが、ニュートンについては数学が苦手だったので、そこから学んだのは、物理的自然に接する経験的実証的態度だけであったのだそうである。「人性論」の副題に「精神上の問題に実験的推論方法を導き入れる試み」とあるのはニュートンの方法を意識してのことなのだそうである。 そうするとヒュームの懐疑的立場というのはニュートンの物理法則を懐疑する方には向うものではなかったのだろうか? ポパーは

    D・ヒューム「懐疑派」in「道徳・政治・文学論集」(3) - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • D・ヒューム「懐疑派」in「道徳・政治・文学論集」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    名古屋大学出版会 2011年7月 ヒュームのエッセイ集としての既刊の「市民の国について」には訳出されていない論文として、まず「懐疑派」を読んでみた。訳文で今一つ論旨がわかりにくと思われた部分については Oxford World Classics の 「David Hume Sellected Essays」のなかの「The Sceptic」とそれに付されたS.Copley とA.Edgar の解説も参照した。 哲学者たちが彼らが発見したと称する原理をそれがあまりに広くに適応できると主張していることについて自分は疑問をもってきた、とヒュームはいう。あらゆるひとはそれぞれの心の傾向を持つ。その心の傾向がその人の欲望と感情をきめる。彼らは自分に関心があることであっても、他人はそれには関心を持たないかもしれないとは考えない。彼らがあることに関心を持つのはかれらが持つ心の傾向からなのだが、その傾向は

    D・ヒューム「懐疑派」in「道徳・政治・文学論集」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • Amazon.co.jp: 人性論 (中公クラシックス W 63): ヒューム (著), 土岐邦夫 (翻訳), 小西嘉四郎 (翻訳): 本

    Amazon.co.jp: 人性論 (中公クラシックス W 63): ヒューム (著), 土岐邦夫 (翻訳), 小西嘉四郎 (翻訳): 本
  • ハイエク「デイヴィッド・ヒュームの法哲学と政治哲学」in「ハイエク全集 2−7 思想史論集」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    春秋社 2009年7月 この「思想史論集」は偶然書店でみつけた。その中にこの「デイヴィッド・ヒュームの法哲学と政治哲学」が収載されていた。これを知ったのは、だいぶ前に読んだ渡部昇一氏の「新常識主義のすすめ」(文藝春秋 1979年)の中の「不確実性時代の哲学−デイヴィッド・ヒューム再評価−」によってである。その当時の世界的なヒュームの再評価を紹介したもので、「英国史」の著者として生前にヒュームは有名であったことをそこで知った。そこでは、現代ヒューム研究の白眉としてこの1963年のフライブルク大学での公開講演「デイヴィッド・ヒュームの法哲学と政治哲学」をあげていた。講演のキーワードとして「構成的主知主義」という言葉が紹介されていた。ヒュームは合理主義を否定したといわれるが、合理主義すべてを否定したのではなく、その中の「構成的主知主義」といういきかたを否定したのだという。この言葉は全集では「設計

    ハイエク「デイヴィッド・ヒュームの法哲学と政治哲学」in「ハイエク全集 2−7 思想史論集」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/08/17
    「一番嫌いなのは人間の傲慢であって、人間の傲慢をつくったのがキリスト教であると思っているのかもしれない」
  • 池田信夫「ハイエク 知識社会の自由主義」(1)第一章「帝国末期のウィーン」  - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    PHP新書 2008年9月 ハイエクというひとは前から気になっていたのだが、書を読んで、以前からの疑問であったハイエクとポパーの関係、ハイエクとフリードマンらシカゴ学派との関係について一つの視座を手にすることができた。 ハイエクのことが気になった最初はポパーの自伝の「ほとんど一年後、途方にくれ恐るべき意気消沈におちっていたとき、私は戦時中接触を失ったわが友エルンスト・ゴンブリヒのイギリスの住所を、ふとしたことから知った。きわめて気前よく援助を与えてくれたハイエク(彼とはこれまで数度しか会ったことがないので、私は彼をわずらわすのに気がひけた)と一緒になって、ゴンブリヒは出版社を見つけてくれた。その救援は測りしれぬほど大きかった。この両人は私の命を救ってくれたのだと私は感じた。そして今なお私はそう感じている。」「それから間もなく―ヨーロッパでの戦争が最終段階にあったとき―ハイエクの名で発信さ

  • ヒュームの私的因果の不可能性

    まず用語を整理しましょう。 「私的因果」というのは、クリプキの用語です。ここではいったんヒュームと分けて考えます。 「因果」というのは、原因と結果、つまりヒュームがもんだいにしたのは、結果から原因が導かれるという考え方そのものです。 わたしたちは日常的にこの因果関係に従って考えています。 「グラスを落とすと割れる」、ということを考えてみましょう。 わたしたちはふつう、このことを「あたりまえ」と思っています。 この「あたりまえ」を、ヒュームはもう一歩踏み込んで考えた。 「グラスを落とす」というできごとにつづいて、「グラスが割れる」というできごとが生じる。これが何度も何度も繰り返すにつれて、「グラスを落とす」というできごとが生じるときはいつも「グラスが割れる」のできごとも生じると期待するようになる。 原因と結果という概念はこのようにして形成される。 このことは「習慣」という、人間の性に深く根

    ヒュームの私的因果の不可能性
  • デビッド・ヒューム入門 (Introduction to David Hume)

    デビッド・ヒューム (David Hume), 1711- 1776. : 小入門 「学問に情熱を傾けよと(自然は)言うが、その学問は人間的なものであるべし。したがって、行動や社会に対して直接の関わりを持つものであるべし。小難しい思考や重箱の隅めいた研究をわたしは禁じ、そして罰する。それらがもたらす悲しげな憂愁によって、それが引きずりこむ果てしない不確実性によって、そしてその発見めいたものを伝えたときにそれが直面する冷たいオウム返しによって罰するのだ。思想家にはなりたまえ。だがそのあらゆる思想の中にあって、変わらず人間であり続けることを忘れるな」 (デビッド・ヒューム, Enquiry Concerning Human Understanding, 1748: p.5) デビッド・ヒュームのページ デビッド・ヒュームの書誌 デビッド・ヒュームは、西洋史上最高の思考家の一人で、著述家としても

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    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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