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kantに関するfunaki_naotoのブックマーク (39)

  • 米澤有恒『カントの凾』 - martingale & Brownian motion

    なぜ、芸術は芸術なのか。 この質問の意味がわからない人は、こういうふうに問い直してもいい。 いつから、芸術は芸術なのか。 まだ、わからない人は、??? つまり、そもそも、芸術とはなにについて言っているのか、である。 (卑近な例で言えば、飛鳥時代の仏教建築や、仏舎利の壷は、別に、芸術ではない。それぞれの祭事で、必要だから存在するわけだし、それぞれのそのありようには、意味がある。こういうものを芸術と呼ぶのは、正しくないのでは、と思うなら、ちょっと質問の意味を理解されてきている。) それは、他の学問についても、ある程度は言えるように思える。なぜ、それらは分かれているのか。いや、分かれていることがどうこうというより、なぜ「そのように」分かれていることに、だれもが普通に受け入れているのか。 なんのことだろうと思うだろうか。 中世ヨーロッパや、中国文明において、神(や天)を無視して、あらゆる事実につい

    米澤有恒『カントの凾』 - martingale & Brownian motion
  • 田中小実昌/物そのもの - 細々と彫りつける

    日はデイケア参加。柔軟やエクササイズの日。人数がたくさん。身体を動かすのは良い。 さて先日http://d.hatena.ne.jp/ishikawa-kz/20090801の続き。 田中小実昌 (KAWADE夢ムック文藝別冊) 出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2004/04/08メディア: ムック購入: 2人 クリック: 75回この商品を含むブログ (9件) を見る堀江敏幸のエッセイや井口時男の批評。ストリップやハードボイルドについてのコラム、書斎の説明、古屋での小実昌の様子などなかなか充実してきた。なんといっても田中小実昌の作品「どうでもいいこと」が入っていること。今読んでいる途中だがスゴイ。父上の田中遵聖が末期がんに侵される事態を書いている。これは今のところ端整なリアリズムであるが、時々後に展開される小実昌節の萌芽がある。ところどころ私小説的である。もう少し書き込んで

    田中小実昌/物そのもの - 細々と彫りつける
  • 哲学的断章

  • イマヌエル・カント「美と崇高との感情性に関する観察」 - 両世界日誌

    上野直昭訳による岩波文庫(1948年初版)。これは題名の示すとおり「観察」であって、「考察」でもなければ「研究」でもない。もともとカントはきわめて無趣味な人で、自室には絵の一枚もなかったというから、そういう人の書いた美学が美学プロパーではなく倫理学におもむくのはごく自然ななりゆきだ。題名に「感情性」という言葉を入れたのはそのことに関連していると思われる。 このはおそらくバークの論文に影響されて書かれたものだと思われるが、そのバークと比較しながら由良君美はこんなことを書いている。いわく、「われわれは、臆することなく美学者バークの卓越性を語ろう。……題までも物欲しげに酷似したカント『美と崇高の感情性についての考察』など、その後進国ぶりは気の毒なほどで、年代さえ書くのがはばかられる」と。 いくらわが仏尊しといっても、これはちょっとひどいのではないか。年代にしてもバークの(「崇高と美の起源にか

    イマヌエル・カント「美と崇高との感情性に関する観察」 - 両世界日誌
  • カント『美と崇高との感情性に関する観察』(上野直昭訳)を読む : ページからページへ

    カント『美と崇高との感情性に関する観察』(上野直昭訳)を読む カテゴリ: 文学 美的カテゴリーの一つとして認知度の高い「崇高」sublimeを主題にした著作である。 『判断力批判』が1790年の出版でこちらは1764年らしいので随分と早い。 しかし『判断力批判』と違って哲学的考察らしいものはほとんど見当たらなかった。 むしろ18世紀ドイツにおけるある種の心理的特徴を表わす歴史的資料として価値のある類いのものだと思う。 カントは具体例を列挙して「崇高な感情」と「美的な感情」の対比を行っている。 この具体例というのが非常に時代を感じさせるもので(だからこそ資料的価値が高いのだが)、四体液説にちなんだ気質の四分類(第2章)、女性を中心に展開されるジェンダー論(第3章)、ヨーロッパをはじめとした国民性や民族性(第4章)の違いに応じてどれが「崇高」でどれが「美」的な性質をもつかという話が続く。 もち

  • カントの数学理論(日本語訳からの単なる抜粋) - retrosectionblog

  • 『カント』はとても面白い - なごみワールド

    坂部先生の『カント』を引き続き読んでいるのだが、これがとても興味深い。全体が詩的円環をなしているような趣がある。 ちょうどレヴィ=ストロースがルソーにその創始者をみた今日の人類学(…)が、自己のぞくする文化や自己の主体のあり方をたえず対象化し相対化する、という、いわばたえずくり返しみずからの自我の存立をおびやかすようなあやうい境地にその成立の場面をもつのとおなじように、カントの「人間学」にも、近世的人間主体の自覚という作業が、自己の存立基盤そのものをあやうくする、そのぎりぎりの地点からすくなくともそれほど遠からぬところで成立していた、という一面があったのではないだろうか。(44) カント哲学の思想的出発点は、ニュートンとライプニッツの調停という課題にある。カントは処女作や『天界の一般自然史と理論』などで、ニュートン的機械論的秩序を自然科学的に探究したが、それは「論理的には、ライプニッツ的目

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  • http://under.the.velvet.jp/?cid=32563

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • The First Virtue - Site Home - MSDN Blogs

    Windows Azure Storage Service を用いた在庫管理の設計 https://social.msdn.microsoft.com/Forums/ja-JP/windowsazureja/thread/b76f647b-5e11-446b-92bd-2efdc2e7... Author: masayh Date: 03/26/2010 クラウドのアプリケーション開発へのソフトウェアファクトリー適用 マイクロソフト株式会社 萩原正義   Microsoft社は2004年よりソフトウェアファクトリーを次世代のソフトウェア開発基盤技術として推進してきた。2009年以降はWindows... Author: masayh Date: 09/28/2009 アジャイル開発とアーキテクチャ アーキテクチャの基的な考え方は、機能要求に先行して構築されてることです。 この原則は、EA

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  • イマヌエル・カント - Wikipedia

    事実上、以降の西洋哲学全体に影響がある。とりわけ、カント主義、新カント派、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、フリードリヒ・シェリング、フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ、ヤーコプ・ジギスムント・ベック、クリスチャン・ヤーコプ・クラウス、ザーロモン・マイモン、カール・レオンハルト・ラインホルト、フリードリヒ・シュレーゲル、アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル、アルトゥル・ショーペンハウアー、フリードリヒ・ニーチェ、チャールズ・サンダース・パース、エトムント・フッサール、マルティン・ハイデッガー、エルンスト・カッシーラー、ユルゲン・ハーバーマス、ジョン・ロールズ、ノーム・チョムスキー、ジャン・ピアジェ、セーレン・キェルケゴール、テオドール・アドルノ、ダフィット・ヒルベルト、ミシェル・フーコー、マックス・ヴェーバー、ピーター・フレデリック・ストロー

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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  • 道: ハイデッガーとカントの生を貫くそれぞれの問い

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/11/15
    「問いへの答えを探すのではなく、問いを問うとはどういうことか?」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    恋人と別れて30年が過ぎ、その元恋人の娘と出逢う夜 古い友人であるShellyからメッセージが届いた。「私の娘のAdrienneが日に行くのだけれど、時間取って彼女と会ってくれるかしら?」 Shellyはアメリカ在住の白人女性だ。Shellyと俺との関わり合いは、過去に書いた。こちらを参照のこと。25歳に戻れた夜~ブライアン・…

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  • An Excess of Repetition into the Future - アンチ・カンティアニズム II

    恋人と別れて30年が過ぎ、その元恋人の娘と出逢う夜 古い友人であるShellyからメッセージが届いた。「私の娘のAdrienneが日に行くのだけれど、時間取って彼女と会ってくれるかしら?」 Shellyはアメリカ在住の白人女性だ。Shellyと俺との関わり合いは、過去に書いた。こちらを参照のこと。25歳に戻れた夜~ブライアン・…

    An Excess of Repetition into the Future - アンチ・カンティアニズム II
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    木場公園の隣に咲く河津桜|春の訪れを感じる 春の陽気を感じながら、カメラを片手にゆったり散歩。 木場公園の隣に咲く“河津桜”は、見頃を過ぎても美しかった。 木場公園の隣に咲く河津桜 多くの観光客が訪れているのは、海外でも桜の開花情報がシェアされているからだろう。 後ろのマンションが日らしさを引き…

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  • pj arquitectos : 建築における「今」について

    歴史が私にどんな関係があろう。私の世界こそが、最初にして唯一の世界なのだ。 L・ウィトゲンシュタイン Ⅰ 「現在」としての未来  「今」と「未来」とは、とりわけ「建築」における今と未来とは何であろうか。それらについて「問う」ことが可能であるならば、それは如何なる方法においてであろうか。 私は先日、一九七〇年大阪万博で展示されたタイムカプセルを目にする機会があった。そしてそこには、三十年後すなわち西暦二〇〇〇年から五千年後(!)に至るまでの百年毎に定期的に開封されると説明されていた。人類の進歩と調和・・・これは、西暦一九七〇年時点の日において「五千年後」なる時間概念が社会的リアリティを有していたことを示す興味深い事例となるだろう。しかし、その僅か三十六年後すなわち西暦二〇〇六年現在の段階で、「五千年後」という概念に現実性を感じることは難しい。それは、環境破壊や人口問題あるいは政治的経済的不

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/06/20
    「建築におけるカント主義とその克服」
  • カントの超越論的哲学(目次)

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