2024年2月例会告知 by AMI (02/10) 2024年2月例会告知 by AMI (02/04) 2024年2月例会告知 by YEN (02/03) 2024年2月例会告知 by AMI (02/03) 2024年2月例会告知 by YEN (02/02) このblogについて(4) ゲームインデックス(5) Twilight Struggle 杯(12) 例会告知(148) 例会記録(232) 合宿記録(20) 東都遠征軍記録(16) 遠征日誌(359) 艦長私的記録(451) ゲーム紹介(352) 戦国群雄伝(36) Combat Commander(29) World in Flames(14) カルドセプト(136) 翻訳(15) ゲームシステムの考察(15) ヴァリアント(18) ゲーム用具(21) 同人SOLGER(97) 備忘録(20) 数エーカーの雪杯(12)
(EP/CMJ)「ドイツ戦車軍団」の中の一作、「ダンケルク」をプレイしました。 …って、これ実は去年2週間ばかり出張に行っていた頃に宿でプレイしていたときのものです。 拘束が夕方で解けるので、平日の夜や週末等のプライベートの時間が結構あったので、出歩いて飲み食いするよりもゲームを楽しみました。 初期配置 仏軍戦線の南方側は地形はやや険しいものの守備が手薄なので、独軍は足の速い素行部隊をこちらにまわして"逆シュリーフェン・プラン"を狙います。 ゲーム終了時 ドイツ軍が北西沿岸部まで到達する勢い(実際はできたのですが、南西から進入してくる連合軍増援部隊の対応用に南部から西部にかけて戦線構築用の部隊を拘束されたため、あまり遠くまでまわせませんでした)であり、マップ上の連合軍は終盤に南東部から登場してきた増援を除き、ほぼ駆逐されてしまいました。 ソロプレイは独軍目線でのプレイだったせいもあるかもし
連合軍の一次上陸は、守備隊がいないサレルノに行われました。 いつものとおり、ドイツ軍は通常戦力投入表を選択します。 連合軍に投降したイタリア軍のローマ守備隊は、ドイツ軍の第2降下猟兵師団その他の攻撃を受けて殲滅されます。 ドイツ軍は、南部での抵抗に見切りをつけて早々に撤退します(新マップでは、戦線が広すぎて守れません)。 ナポリ前面で戦線を構築し、カッシーノの主防御線ができるまでの時間稼ぎをします。 1943年一杯はカッシーノ・ラインで一進一退の攻防が続きます(ドイツ軍は防御拠点を駆使して戦線を死守)。 1944年初頭、連合軍はローマとナポリの中間部に位置するテラキナに二次上陸を敢行し、グスタフ線を挟み撃ちします。 海岸付近でドイツ軍2個師団(HG師団を含む)が包囲されて全滅し、ローマへの道が開かれます(この2個師団は、今回のプレイを通して完全に全滅したドイツ軍唯一の師団ユニットでした)。
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★開場直後には小雪もちらつく寒い中、YSGA2010年新春初例会ということもあって、プレイ参加16人、顔見せ3人の総勢19人が集い、以下のゲームが閉会ギリギリまでプレイされました。 ・(AH)シーザー・イン・アレシア ・(GAMERS)南北戦争旅団級シリーズ:CWB:Thunder at the Crossroads2日目:4人戦 ・(GAMERS)南北戦争旅団級シリーズ:CWB:No Better Place to Die ・(GMT)コーカサス・キャンペーン/The Caucasus Campaign ・(GMT)Combat Commander 太平洋 シナリオAのミンダナオ島(1945年) 自作シナリオのパレンバン落下傘降下戦闘(1942年) ・(WE)Against the Reich ・(コマンド誌別冊)ノー・リトリート+ナ・ベルリン! ・(同人)ジオニック・タイフーン・カード
一年の最後なので何か書いておこうかと…。 大抵、私のつながりは趣味(ほぼウォー・ゲーム)関係がほとんどなので…。 今年もいろいろゲームができました。 決してコンスタントとはいえないですが、出身地で開かれるサークルの例会にも数回参加できましたし、MustAttackやブログ等を通していろいろな方ともお知り合いになれました。 それに、先日には拙宅にネットでお知り合いとなったゲーマさんをお迎えしての対面プレイもできました。 (これは自分的にはかなり大きな出来事でした) どんなゲームを購入/プレイしたかは総括できていませんが、今までやったことのないゲームが沢山プレイできたのはまちがいありません。 また、そうした思いや出来事をつづったブログに少なからぬ反応をいただけたのは、とてもうれしいことでした。 来年もいろいろなゲームをもっと沢山プレイしたく、計画を立てて進めていきたいところです。 (毎年言って
先日12/29に岡山に帰省中のiriyak氏を拙宅にお招きしてのささやかな自宅ゲーム会を行いました。 (といってもほとんどゲーム+α談義に費やしてしまったかも…) 実は自宅に人をお招きしてゲームをするのは二十数年ぶりでしたので、事前に早めの大掃除もできました(笑)。 発端は、iriyak氏とVASSALと呼ばれるオンライン対戦ツール上のチャットやtwitter等でのやり取りなのですが、いろいろとお話させていただくうちに丁度帰省先が私の居地と近いことや、その他のネタで盛り上がったこともあり、都合のいい日にお会いしましょう、となりました。 当日は正午に倉敷駅にてランデブーの後、昼食をとって13:30頃に拙宅に到着しました。 食事中や移動中の車内、拙宅にても話が尽きないくらいいろいろなお話をさせていただきました。 たまたま、両者とも器楽演奏を嗜んでいたとのでこの辺りでも楽しいお話ができました。
ウォーゲームのサークル・千葉会のblogです。 毎月、第三週の土曜日と日曜日に例会を行っています。 その報告を主に、代表者のyagiが参加したゲームサークルなどについても、アップしています。 コマンドマガジン『バルジ大作戦』 話は前後しますが、昼頃に私の携帯が鳴るので、誰かと思えばちはら会のmitsuさん。 最寄り駅の中野坂上へ到着報告です。 そうですか、千葉の南部から来たのですか。予定を聞いてなかったので、ちょっとビックリです。 さて、そのmitsuさんなのですが、手の空いていた田村@韓流さんを誘い『バルジ大作戦』を対戦。 その前に、西新宿鮫さんと一勝負したのは、ご愛嬌っすね。 田村@韓流さんは、コマンドマガジンに掲載された作戦研究を、塩もみ状態で参考に連合軍を指揮。 しかし、歴戦のmitsuさんには通用せず、蹂躙されていた模様です。 詳細はちはら会のブログと田村さんのHPにて報告される
ウォーゲームのサークル・千葉会のblogです。 毎月、第三週の土曜日と日曜日に例会を行っています。 その報告を主に、代表者のyagiが参加したゲームサークルなどについても、アップしています。 一年の始まりに、中野歴史研究会へと参加して来ました。 こう言った、自分の主催している以外のサークルは、自分の対戦以外を簡易的に扱うようにしています。 しかし、今回は余りにも盛り上がりを見せていたため、その熱気に煽られて全体象を皆さんに知って貰いたく詳細報告します。 参加者は何名いらしたでしょうか? 確か、20名を少し越えているくらい。 二間続きの18畳和室が一杯になっていました。 まあ、ちょっと詰めさえすれば、もう何卓かは立つ余裕はありましたけど。それに手前でノートパソコンを操作しているしのはらさん卓は、幹事卓のままでしたし。 皆さんから確認を取っていませんので、全員の顔に彦ニャンを貼ってあります。今
参加人員:9名 今年最初の例会である。 プレイ物件: モスクワ攻防戦(6A) ウォーゲーム日本史4号・討入忠臣蔵 〜元禄太平記〜(国通) 砂漠のキツネ(6A) ブライテンフェルトの戦い(SPI/HJ) ThirtyYears War Quad・Lutzen(DG) 朝鮮戦争(EP/SS) モスクワ攻防戦 パタケウチ・帝王両氏幾度目かの対戦。 ウォーゲーム日本史4号・討入忠臣蔵 〜元禄太平記〜 同誌最新号。モスクワ攻防戦を終えた御二方が対戦。 どうやら、表へトンズラしようとした吉良を浪士が追いかけ、背中から「バッサリ!」と殺った模様・・・w 砂漠のキツネ KMT・Trajan両氏の対戦。 「トブルクがあっさり落ち過ぎる」とか言う話で、仕切りなおし一回及び納得行かなかったのか徹底検証まで行っていた模様。 ブライテンフェルトの戦い 私の今年のゲーム初めwY口氏と対戦した。私は今回で二度目(Y口氏
今年の“ウォーゲーム始め”になります。 昼前に到着。 会場はもう、熱気と鼻息でムンムンに盛り上がっていました~。 GMTの積木ゲーム「Hellenes」(カードデザインは秀逸でした)や、「Battle for Stalingrad」(SPI)、「バルジ大作戦」(EP/CMJ)、「大祖国戦争」(L2D/CMJ)など他にもいろいろプレイされていました。 話題の「The Caucasus Campaign」(GMT)を、鹿内さんとプレイすることができました。 ルール説明をしてもらったのですが、細かいルールが多いため3時間もかかってしまいました。 ひと休みして、瀬戸さん持参の年代モノの紹興酒で新年を祝い(yagiさん飲み過ぎ~)、さっそくゲームをスタート。 ソ連軍には、鹿内さん、瀬戸さん。ドイツ軍は私が担当となりました。 観戦武官には老兵先生としのはらさん。 コーカサス戦線って、どーすりゃいいんだ
こちらに面白い記事が出ていました。 これを読んで自身の体験がよみがえってきました。 私の父は将棋のアマチュア有段者です。 女流プロになら、1枚か2枚落ちにして貰えば勝てたそうです(女性蔑視発言みたいですが、35年ほど前の将棋界の常識では女流プロは1ランク下だった。今はどうだか知りません)。 そんなわけで、私は父親から将棋を教えられました。 父親にしてみれば遊び相手が欲しかったんだと思うのですが、あまりにもランクが違いすぎて、勝負になるにはほど遠く、私もあまり面白くありませんでした。 なんせ歩と金と王将だけで私(当時小学生)に勝っちゃうわけで。 ただ、子どもと一緒に将棋が出来るとか、お酒が飲めるというのは、小市民の幸せみたいなところがあるんですよね。今から思えば、もう少し根気よく将棋に付き合ってあげればよかった。 私も息子によくゲームに付き合って貰ってますが、SLG界の未来を憂いて立派なゲー
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